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第5章タイ アジアのライスボウルから工業国へ

方磊

第1節 はじめに NAIC型からNIEs型への変貌

 タイの1人当たりのGNP

タイの1人当たりのGNP
 1985年 710ドル
 1990年 1,400ドル
 1992年 1,700ドル

80年代後半高度成長の要因

製品輪出の急教な伸びと輪出志向型の企業を中心とする外国直接投資の急増。

 タイはアジアのライスボウルといわれるほどの世界の有数の農業国であり、輪出
品目で工業製品に分類されている砂糖、水産缶詰等の農林水産品の比率がまだ高い
が農業が工業化政策を下支えしてきた新興農業工業国(NAIC)から電子部品等
機械機器を輪出する輪出代替型工業国(NIEs)に変貌するのは時間の問題だ。

第2節 工業化政策

1、モノカルチュアからの脱却

 タイは19世紀末には輪出の7割が米、北部のチーク(舶舶、家具、建築用木材
の1種)、南部のスズ(錫)を加えると実に輪出の9割がこれら3品目によって占
められるという典型的な少数の特定産品に依存する経済構造(モノカルチュア)が
形成される。これらの特定産品が1次産品であり、天侯等の原因によってうまれる
輪出所得の不安定性が経済全体の不安定につながるため戦後工業化に着手し始めた。


2、国家主導型工業化

 戦後、タイ政府は国家中心の経済運営を展開し、欧米資本、華人資本を制限、外
国企業の進出に閉鎖的であったため、新技術や近代的な経営手法の導入ができない、
国営企業の非効率化が顕在化した。


3、民間主導経済への転換

 50年代末、タイ政府は世銀勧告を全面的に採用し、国家指導型から民間主導型
の工業化へと180度の政策転換を行った。


4、輪入代替型工業化

 60年代はタイの開発の時代で、産業投資奨励法が公布され、内資・外資が差別
なく適用された。この時タイ政府が採用した工業型政策は、輪入代替型工業化政策
であり、耐久消費財と非耐久消費財の国内生産が奨励され、高関税による産業保護
政策がとられた。外国の企業はタイ国内市場の確保と高関税を回避のためタイの進
出を開始した。高関税は為替レートの過大評価をもたらし、機械設備と原材科の輪
入の拡大によって国際収支赤字は年々悪化した。


5、輪出志向型産業の振興

 70年代に入るとタイ政府の工業化政策は輪出志向型作業の振興に転換し、農業
を中心とした国内資源活用型及び労働集約型の輪出産業に重点がおかれた。


6、調整期の1980年代

 60年代からタイ経済の成長を主導してきたのは海外からの国内投資であった。
対外債務は輪出を上回ったため、タイ政府は工業化政策を調整し、輪入規制や価格
統制の緩和などあらゆる面から経済構造の改善を行った。80年代後半、輪出の回
復、円高を背景に日系企業の外国直接投資の拡大、商業や観光などの第三次産業の
活況化などを理由にタイ経済は急数に発展すると共に社会的、経済的に新たな問題
も顕在化し、開発政策にも新たな対応が求められた。


第3節 生産構造と労動力

1、安定的高度成長

 タイのGDP成長率は60年代から80年代を通して年平均7%を上回る伸びを
達成してきた。この間、タイの通貨対ドルレートが安定し、物価の上昇率も低いも
のであった。


2、食品加工から機械加工ヘ

 60年代の始めから農業部門の成長率は長期的低下に対し製造業は一時期を除い
て高い伸びを示しており、70年代、80年代は食品産業、及び輪入代替型工業化
の典型的な産業一繊維産業の生産がリードし、90年代に入ると機械工業が発展す
るようになった。


3、農村に滞留する余剰労働力

 タイは工業の発展によって伝統的な農業中心の構造から脱却したように見えたが、
実は統計から見ると依然大量の労動力が農業部門に滞留している製造業は政府から
各種の投資恩恵が与えられ、近代的な機械設備の導入が容易であった反面、農業に
対して政府の助成措置がほとんどなかったことが両部門の格差を拡大した。農業生
産の拡大は機械化によるものではなく、農民の努力によってもたらされたものであ
る。


4、新輪出商品の出現

 60年代以降の工業化はタイの貿易構造に大きな変化をもたらした。輪出品目の
多様化によって輪出の主力商品が次々と入れ替わりながら輪出を拡大させてきた。
農産物関連品、冷凍水産物、繊維製品、集積回路、プラスチック製品などの輪出が
激増した。80年代後半から急激な外国の直接投資によってコンピュータ部品、通
信機器、エアコン、テレビ等の新しい輪出商品が出現した。これら商品を生産する
ための資本財や原材料の大量輪入は貿易赤字増大の最大の原因となってきた。


*「アジア経済読本」P.113〜P.129 参考

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