森田ゼミ96年黒旗福助トップ

hukusuke  福助3号  
発行所 :Y.H.アカデミー
パトロン:森田ゼミナール様

お金もうけは悪い事なのか  紙面討論者:山路 博之

 以下に掲載する内容は、ある問題に対するYESとNOの立場に立って述べたエッセー形式のディベート文章であります。新たな『福助』の試みと思い、多少の乱暴な字体には目をつぶって読んで頂ければ幸いです。尚、判定は各個人がしていただければよく、何か意見があれば投稿してもらい、次回以降で掲載していきます。


お金もうけは悪い事である

 諸君は小室哲哉という人物をご存知だろうか。彼がプロデュースした音楽はミリオンヒットを飛ばしている。又、昨年の演歌歌手すべての売上が、なんとtrf(Tetuya Komuro rave factory)という一グループの総売上数より下まわったという調査報告が出ている。故に今では、「神様、仏様、小室様」と、猫も杓子も「小室フャミリーに入りたい」、旨のラブコールを送っている始末である。平成不況の真っ直中においては、発売されたCDの売れ行きが社運を左右する。そういうわけで、音楽会社ではみなこぞってミリオンヒットを飛ばす小室氏に制作を依頼するというわけである。

 人々に勇気と希望を与える音楽も、不況下にあっては好きかってに音楽を作る事もままならないご時勢になったわけである。

 さて、昔なら「神様、仏様」の後に来る者と言えば、もちろん「稲尾様」である。この「稲尾様」で思い出される野球界においても、近年、問題がおきている。それは野村監督のコメントに代表される、「勝てば官軍」という「勝ってなんぼの世界」という考えが野球界においても蔓延していることである。

 人々に夢を与える商売として、子供達の憧れの的であったプロ野球も、「勝ってなんぼの世界」になりつつある状況はさびしいものである。

 この「売れてなんぼ」、「勝ってなんぼ」という風潮が社会のいたるところに蔓延してきている。そういった社会状況を綺麗な言葉でいえば、「それだけお金にシビアになった」。どぎつい言葉で言えば、「銭金勘定で動く人間が増えた」というわけである。

 私自身、社会問題を考察するに当たり、よく経済効果云々を言って物議をかもしている。しかし、社会的にそれほど地位のないものが言う発言には「他愛のない発言」として、処理されるので問題はない。だが、もし、「さあみなさん、お金もうけをはじめましょう」等と、国をあげて奨励するようなことになれば、どのようにな弊害が起こるか一目瞭然であろう。例えば、「お金にならない仕事はしない」という風潮が当然蔓延することになる。そうなると、ゴミ処理や上下水道等のお金にならない仕事は民間企業では行わず、全部政府負担となる。結局、そういった費用を「国民の税金でさらに負担する」、という悪循環に陥るわけである。

 故に結論として、簡単に「お金もうけは良い事」等ということを、安易に宣伝したり、社会が容認してはならない。


お金もうけは良い事である

 何故、お金もうけが悪いのであろうか。この自由主義経済である資本主義の世界では、それが前提として成り立つ社会である。つまり、お金もうけを否定することはいわば、資本主義社会を否定するわけである。故に、「お金もうけは悪」と決めつける人間は、とっととこの社会から出て行くか、山にでも行って、一人隠遁生活でもしたらいい。

 だいたい、「機械を用いて何百種類もの音楽を作り出すことは邪道である」と、批判している松山千春や矢沢永吉に聞きたい。ようはおまえらだって、当時は邪道であると後ろ指さされながらも、フォークやロックという世界を作ってきたわけであろう。それを棚にあげて、やたらと売れる新興勢力の小室氏を批判する道理がみあたらない。

 又、「夢がない、夢がない」と、最近の金に任せて、メジャーな選手をスカウトする巨人を批判する人がいるが、これなども音楽業界と同じである。(何故なら、他の球団だって巨人のようにお金があれば、邪道であると後ろ指さされながらも、メジャーな選手をいっぱいスカウトするだろうから。)

 要は、CDを買う消費者、ナイターを見る視聴者が判断を下し、そういった連中がその行動に責任をもてばよく、わざわざ、社会全体の危機などと警鐘をならすのはナンセンスである。

 結論として、「そういうCDを聴きたい奴がいる」「そういう野球を見たい奴がいる」、だから企業はそういうニーズを提供して、利益を得ていく。お金もうけのどこが悪いのか。