森田ゼミ96年黒旗福助トップ

hukusuke  福助12号  
発行所 :Y.H.アカデミー
パトロン:森田ゼミナール様

前期発行終了に寄せて  亀田亮

 山路に「前期終了に寄せて、上げて」というタイトルで原稿を依頼された。本来のスジから言ったら、そういうのは細田か根津に依頼すべきものだと思う。それに、また『論駁』されたらどうしてくれるんだ。でも、まいっか。

 『福助』を一言で言うなら「面白くない」ということになる。タコスだか何だか知らないけれど、つまらん上に役にも立たない。あのままでは、貴重な森林資源の無駄遣いであるから、速やかに紙面を一新すべきである。

 しかし、『福助』にも褒めるべき点はある。

 その第一点は、なんと言っても川嶋直子という才能の発見であろう。彼女の文章はとっても面白い。「もう書きません」なんて言っているが、是非とも、少なくともぼくが卒業するまでは、毎週連載してもらいたい。

 もう一点は、今回の企画、「城西大学の先生が推薦するこの一冊!!」(←ネーミング:山路)である。これは面白い企画であるし、また情報としても貴重なものだ。

 『福助』自体への言及はこのぐらいにしておく。山路という奴は、褒めればいい気になって鬱陶しいし、かと言って貶すと「どうしてですか? 何でですか? ちょっと待って下さいよ」を連発、ヒステリーをおこし、これまた鬱陶しいので。

 今回配られる「夏休み推薦図書」を見て考えたことでも書こうと思う。

 まず、確か山路は、4、9、12号館に自室を持つ先生方全員に、アンケート用紙を配ったはずである。こんなのに答えるのはそれほど面倒なことでもないと思うし、ふざけた内容のアンケートでもない。それなのに無視するなんてひどい。学生に推薦できる本を一冊も持っていないような教員なんて、教員としての存在意義など無い。今回のアンケートに答えなかった教員を、全員即刻解雇すべきである。

 とは言ってみたものの、書いてくれない人の方が多いのだから、解雇される訳なんかないよなぁ。

 ちなみにぼくは、少なくとも西勝先生山口先生の推薦書は読みたいと思った。推薦文がとってもナイスだったから。

 さて、夏休みの読書と言えば読書感想文である。
「読書感想文を書こう!」

 いきなりこう叫んでみても、おそらく書いてみようなどと思うのは、ぼくと山路くらいのものである。

 ここでぼくに妙案がある。コンクールの開催だ。もっとも、大学生にもなって読書感想文のコンクールもナンである。別にエッセイのコンクールであっても良いが、論文のコンクールが良い。いずれにしても、少し学問的な「ニオイ」のするコンクールを開くのだ。

 ただし、これもハンパなコンクールではいけない。何がハンパではいけないかというと、ズバリ「賞金」である。大賞は二百万円。賞金総額一千万円のコンクールである。勿論ぼくは経済学部の学生であるから、財源についても考慮しなければならない。しかし、一千万円ぐらい、学生一人につき年間二千円余分に集めれば、十分にオツリが来る。

 これは学生からも文句は来ないであろう。今時二千円である。それに事実上、コンクールに応募さえすれば回収できるシステムになっている。ぼくの計画では、佳作に対する賞金は一万円であり、これを百作品に与える。入選作には十万円で、これを二十本。優秀賞は五十万円で十本。そして大賞を受賞した一作品には二百万円である。

 ぼくの記憶では、確か芥川賞、直木賞の副賞としての賞金は二百万円であったはずだ。賞金二百万円の懸賞論文など、たぶん、どこにもない。ノーベル賞はいくらだったか忘れたが。

 これは全国的にも相当話題を呼ぶことであろう。少なくとも、「ユニーク入試」などと称して、けん玉が得意だというだけの小僧を入学させた、アホな大学よりはよっぽど評価されるはずである。先に前例のないことを行えば、全国的に注目を集めるのは当然である。もっとも、教員のリストラを断行して注目を集めるのであっても、ぼくは一向に構わない。先にも書いたように、候補者は既に選定済みだ。

 ハードではなくソフトの充実などとは、よく言われることである。こういうのは、言うは易く行うは難い。我が校においても、ぼくが入学以来、常に敷地内のどこかで工事が行われている。テレビドラマのロケ地として何度か使われたこともある。しかし、やっぱりまだ「城西大学」という名前は、全国区とは言い難い。

 ところで、コンクールの開催によって全国的に注目を集めることになったら、他にも改善すべき点はある。例えば、学長である。あんなジジイはさっさと引っ込めて(カワヅラセンセイ、スミマセン)、黒沢昌子先生のようなキュートな女性をそのポストに据えるべきである。黒沢先生なら、テレビ映えする。若くておまけに美人が学長という、ただそれだけで話題にもなる。

 移転も考えるべきだ。都内に移転し、田島某なんていうバカが教授をやっている法政大学と、その地位を交代すべきだ。城西が東京六大学で、法政は東都。田島と黒沢先生黒沢先生の方が良いに決まってる。

 何だかここら辺まで来ると、書いている自分自身でさえ悪ノリが過ぎるなとは思うが、要は気合いである。気合いさえ入ってりゃ、世の中たいていのことはカタが付く。いい加減に「授業中にジュースを飲むのは是か非か」なんて低レベルの論争をするのはやめてもらいたい。聞いているこっちが悲しくなってくる。

 ぼくの願いは、城西大学経済学部から、日本人初のノーベル経済学賞受賞者を輩出することである。「日本人初」の栄誉を、表彰台に上ったF1レーサー一人で満足してはいけない。学問の府である。学問の世界で名を成すべきであろう。シカゴ学派に取って代わるのは、「城西学派」であるべきだ。なにも他に譲る必要はない。

 コンクールの開催こそが、「城西学派」形成への第一歩であると信じる。卒業生からも集めれば、それなりの水準の論文は集まるだろう。そして何より、学生の目の色が変わるにちがいない。二百万円。誰だって欲しい。それも、手に出来る確率は極めて高いと言える。バイトに精を出すことよりも、明らかにワリが良い。

 この案にひとつ難点があるとしたら、「宝くじを買う城西生がいなくなった」と第一勧銀から、営業妨害で訴えられる可能性があることくらいだろう。

 実はこの原稿の依頼があった当初は固辞していた。しかしなぜ引き受けたかと言えば、「今回から、この新聞を全校にばらまくことになりました」と山路が言うからである。全校にばらまくとなれば、それなりの影響力を持つかもしれないな、という淡い期待からだ。

 どういう訳か、ぼくは「モリタの回し者」という、不愉快極まりないレッテルを貼られ、何を提案してもあまり相手にされない。そんなわけであるから、これを読んで、ぼくの「城西学派」構想に賛同してくれた人は、是非このコンクール案を自分の所属するゼミの先生に提案していただきたい。ま、どうせ二百万円はぼくがもらっちゃうんだろうけどね。

 もう一つ付け加えておくなら、この文章をもって「クロサワの回し者」に立候補したととっていただいて構わない。黒沢先生、ぼくに英語教えて。