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社会主義建設失敗説

 第二説について考察する。この説はマルクス・レーニン主義理論には、何ら欠陥はないが、社会主義建設のプロセスに失敗や誤りがあったという。政治部門でのプロレタリアート独裁は正しいことになる。経済部門でも、生産手段の国有化、農業集団化、外国貿易の国家独占、これらもすべて正しいことになる。まず政治部門について考える。ひと口にプロレタリアート独裁といっても、すべての労働者が全員で独裁政権に参加し権力を行使することは不可能であるから、「前衛」という職業的革命家集団つまり共産党が独裁権力を掌握し行使する。いうまでもなく、この独裁権力はプロレタリアートのために、プロレタリアートの名において執行される。ここで重要なことは、もし誤って権力が発動されたとしたら、その誤りはどのようにして是正されるのであろうか。おそらく是正されることはないと思われる。理由は、誤りを指摘し、是正を要求するための政治的自由が、国民の側に担保されていないからである。反論として唯一考えられる場合は、独裁権力の行使者が、いかなるときも絶対的に誤りをおかさないという場合のみである。しかしこのような思考は、極度の政治的楽観主義であって、現実社会では、あり得ないことである。しかるに、日本共産党はマルクス・レーニン主義を是認し、科学的社会主義を主張する。

 「現在の社会主義が、社会主義の本来の真価をより全面的に発揮できる地点にまで前進するためには、これらの欠陥、制約、誤りを克服することが不可欠の問題となる。なかでもソ連の覇権主義干渉や圧力に追従し、これを是とするような状態、体制的にいえば、押しつけられた「ソ連型社会主義」の体制をのりこえないと、社会主義国らしい本来の値打ちを発揮するところに前進できない、このことを一貫して指摘してきたのが、日本共産党でした(前衛、No,583,1989,12,P,42-43)」。

 ここにいう「本来の価値」とか「社会主義国らしい本来の値打ち」が何を意味するものか不明であるが、ソヴィエト型社会主義の押しつけはよくないと力説している。たしかに押しつけはよくないであろう。押しつけられることが原因で、「本来の真価」が発揮出来ないこともわかる。押しつけられた国の社会主義が発展しない、または失敗することはあり得るかも知れないが、押しつけた側の社会主義もまた崩壊にいたる理由は何か。この引用が執筆された時点では、ソヴィエト共産党は存在したが、崩壊の危機に直面しつつも、マルクス・レーニン主義を否定しなかった。この引用の次には以下の記述がある。

 「こういう目でみるならば、現在東ヨーロッパの一部の国やバルト三国で起きていることは、まさに日本共産党が主張し、期待し、展望してきたこと、社会主義国を社会主義の道からふみはずさせてきた諸害悪の克服の過程−−その根幹をなすソ連の覇権主義、大国主義の支配と、対ソ追従的・官僚主義的な「ソ連型社会主義」からの脱却の過程にあるということが、なによりの中心問題です(前衛、No,583,1989,12,P.43)。」

 バルト三国に関しては、一九三九年八月、独ソ不可侵中立条約が締結され、その際に両国間で追加秘密議定書が取りかわされた。この秘密協定にもとづき、翌一九四○年、ソヴィエトはラトヴィア、エストニア、リトアニア(2)三国を社会主義共和国として連邦の一部に組み入れたのである。この歴史的背景からみて、バルト三国の抵抗は、ソヴィエト型社会主義の押しつけ反対ではなく、大戦前の独立国家への復帰運動である。したがって「東ヨーロッパの一部の国やバルト三国などで起きていること」が、「まさに日本共産党が主張し、期待し、展望してきたこと」にはならないのである。一九九一年九月、バルト三国は独立国家として再生した。この三国は、もともと独立国家であったのであるから、当然のことである。バルト三国の独立運動をもって、社会主義建設の方法上の問題点とすることは無意味なことである。では次の論述は何を意味するか。

 「「複数前衛党」がありうるかどうかは、学説に関係します。弁証法的唯物論の哲学的な根拠は、人間は客観的真理を認識することができる。哲学には不可知論というのがあります。真理はわからないという不可知論には私たちは立たない。客観的真理の認識は十分可能であって、労働者を解放せよ、そのために労働者は団結しようという真理が客観的に明白ならば、その具体的なアプローチのための集団をいくつもつくる必要はないのです(中略)。同じ方向なら分裂する必要はないというところから、私どもは認識論上も複数前衛党論というものはとらないんです。それは哲学的にも論理的にも矛盾しているからです(前衛、No,592,1990,6,P.41-42)。」

 この議論で、社会主義建設の方法に関しても、党は常にひとつの路線しか選択出来ず、かつ分裂も認めないというのであれば、必然的に一党独裁制しかない。一党独裁制という表現は、民主集中制という言葉におきかえられているが、実質は同一である。複数政党制を認めない根拠として、「客観的に明白」ならば一党のみでよいという。何が「客観的に明白かといえば、「労働者は団結」すること」が「真理」、であることが明白だからであるという。「複数前衛党論」というものはとらない根拠としては、「哲学的にも論理的にも矛盾している」からだという。民主政では、矛盾しているか否かは、選挙民が決定する。社会主義国家は政治部門に民主主義を認めないことが明白である。ソヴィエトや東ヨーロッパ諸国の社会主義が、方法論上の誤りをおかしたのであれば、何が正しい方法であるか。一党独裁制は誤りであるが、民主集中制は正しいという主張は、単なる言葉の言いかえでしかない。

 崩壊した社会主義国家は、なぜ誤りを是正しなかったのか。独裁はプロレタリアート解放の手段であり方法であった。労働者の解放は労働者以外の階層に対しては弾圧となる。私有財産制廃止、宗教活動禁止、個人農禁止、企業経営禁止を実施すれば、労働者以外の階層もすべて労働者階級に転落してしまう。プロレタリアート独裁を正当化するためには、すべての構成員がプロレタリアートに属さなければならない。国民すべてがプロレタリアートという一階級のみであるから、プロレタリアート独裁は全国民に対する独裁として承認されることになる。複数政党制が禁止される理由である。

 独裁制の党が誤りを是正する方法について、可能性はふたつある。ひとつは党自身が誤りに気づき、これを是正する場合である。自浄であるが、この期待は非常に困難である。もうひとつは、誤りをおかした党そのものを解体して、別の新しい党にかえてしまう場合である。ソヴィエトや東ヨーロッパの変革は後者の場合であった。複数政党制により、国民の判断を求めた結果である。社会主義政権の否定と自由主義政府の肯定がそれである。一九八九年以降の一連の政治変革は、方法上の誤りではなく、社会主義理論そのものの誤りを指摘したことになる。社会主義国家の労働者によって、社会主義体制が否定された事実は、もはや方法論上の誤りとはいえない。次の反論に対して、いかに解答すべきか。

 「結論的にいえば、東欧やソ連では、社会主義の本当の基準にあったような社会主義体制はできていないと思います。長いあいだチェコスロヴァキア侵略などを正当化してきたし、経済でもいまだに貧弱な状況ですし、社会主義的民主主義もごく最近まで抑圧されてきました。中国その他も、要するに天安門事件が明らかにしているように、ああいう弾圧を正当化するようでは、社会主義的民主主義は全然ないということです。(中略)世界で理想的といいますか、基準にかなった社会主義はまだどこにもない。誤った社会主義が破綻したということは、なにか社会主義のイメージダウンという点では残念だけれども、しかし、一度は通らなければならない当然の道でした(前衛No,592,1990,6,P.30-31)。」

 「本当の基準」が何か不明である。「本当の基準」がマルクス・レーニン主義をさすのであれば、マルクス・レーニン主義こそ誤りになってしまう。理由は、ソヴィエトも東ヨーロッパ諸国も、この理論を忠実に実践した結果として解体したからである。「誤った社会主義が破綻した」のではなく、社会主義に誤りがあったので破綻したのである。社会主義体制を打破した社会主義国家の国民は、「誤った社会主義」を打破したのではなく、「本当の基準」を否定したのである。今やレーニン主義そのものが批判の対象となっている。レーニンこそ正しいのであれば、一九二四年一月、レーニンの死去までは、「本当の基準」による本当の社会主義となる。ボルシェヴィキ革命後、ロシアが直面した事態、食糧危機、生産低下、反革命、少数民族独立運動、国家分裂一歩前の状況は、「本当の基準」とどのような関係にあるのか。一九一八年七月、ソヴィエト共和国憲法(レーニン憲法)公布、皇帝ニコライ二世処刑、反対派弾圧、つまり「本当の基準」は民主政とは無関係である。次はレーニンの電報である。

 「貴電拝受。選抜された信頼できる人々で強力な警備隊を組織し、富農、僧侶、自衛軍人に対する仮借のない集団テロルをくわえ、疑わしい人間を市外の強制収容所に拘禁しなければならない。討伐隊をさしむけよ。遂行状態について打電されたい。
人民委員会議議長 レーニン
一九一八年八月九日に執筆、モスクワからペンザあて(レーニン全集、大月書店、第二六巻、五七七ぺ−ジ)」。

 「本当の基準」こそプロレタリアート独裁を肯定し、暴力革命を遂行したのである。民主政の特徴は、平穏な政権交代にある。国民の意思を無視した政権は、その政権が続くかぎり、権力により国民を弾圧する。国家にそなわった権力は、いうまでもなく、国民のために発動される。理由のいかんを問わず、国民弾圧に権力が行使されてはならない。自由主義国家では自明の理である。

 方法に誤りがあったという説を考察する上で、次に重要なことは、社会主義国の個人崇拝である。レーニンスターリンチトーチャウシェスクも、すべて個人崇拝の対象となった。毛沢東金日成も同様である。個人崇拝の最も極端な事例はスターリンである。社会主義建設に個人崇拝は必要か。一見不要のようにみえるが、個人崇拝と社会主義は一体化する。国民の意思に反する政策を強制執行するためには、強大な独裁権力が必要である。強大な独裁権力を正当化するためには、権力者に対する個人崇拝が絶対的に必要となる。ナチス・ドイツのヒットラーと同一である。方法に誤りがあったとする説では、スターリンの個人崇拝を批判する。スターリンこそ社会主義を誤らせた張本人として、徹底的に批判する。あたかもスターリンさえ批判すれば、社会主義は再生するかのように。しかしスターリン批判や非スターリン化で社会主義は再生しなかった。スターリンこそ、社会主義を強化し継承させた中心人物である。「本当の基準」を本当に実践した指導者こそスターリンであった。第二次世界大戦、特に独ソ戦で、社会主義を守った指導者もスターリンであった。独ソ戦勝利の理由は、スターリンの独裁がヒットラーの独裁をうわまわったからである。スターリンによれば、独ソ戦は大祖国戦争であった。社会主義の祖国ソヴィエトを守りぬくことこそ、ロシア人の義務であった。レニングラード包囲戦は、スターリンヒットラーに対する勝利の象徴であった。スターリンの戦争指導は失敗の連続であったが、勝利を獲得した理由は、独裁と、もうひとつ、大祖国戦争と称するスローガンであった。母なる大地ロシアを祖国と呼び、祖国防衛をロシア人の神聖な義務と位置づけた。愛国心である。ロシア人の愛国心は、神聖ロシア(3)の愛国心である。しかし「祖国」、「ロシア」、「愛国心」、これらは社会主義インターナショナリズムとは対立する概念である。社会主義と個人崇拝が一体不可分である理由は、「本当の基準」の独裁にある。したがって、いかに個人崇拝を否定し、いかにスターリン批判をくりかえしても、社会主義の再生はあり得ない。

 「本当の基準」は最終的に国民の支援を得ることが出来なかった。「本当の基準」が実現しないのみならず、「基準にかなった社会主義はまだどこにもない」という主張は、どのように理解すればよいのか。「どこにもない」ことになれば、ソヴィエト社会主義共和国連邦も、ポーランド社会主義共和国も、ハンガリー社会主義共和国も、その他すべての社会主義国家は、いかなる形の存在であったのか。『ソ連、東欧の事態について』(前掲、前衛、No,592,P.26)は明白でない。「経済でもいまだに貧弱な状況」であれば、克服する方法を明示すべきである。方法に誤りがあったとする説は、「本当の基準」を実現させる方法を明示出来ない欠陥がある。次にマルクス・レーニン主義は正しく、スターリン主義が誤りという主張をみる。「東欧「社会主義」諸国の全面的崩壊の意義」として以下の通りである。

 「本章の「まえおき」でわたくしは、東欧「社会主義」諸国が全面的崩壊をとげた事実をあげて、これに世界史的激変という言葉をあてはめたが、しかし、実際によく検討してみると、これら諸国の体制が完全に崩壊したのは、要するに、必然的な、当然起こるべくして起こった変化であり、世界史的見地からすれば、むしろ歓迎されるべき崩壊であり、歴史的進歩を阻止していた強力支配体制を片づけたものだということができるし、また、そういうものをして規定されるべきものだと、私は考えるのである。なぜそのように規定することができるかといえば、それはこれらの崩壊した「社会主義社会」の真実の在り方を、そしてまた、当然のことながら、それら諸国の成り立ちをば、宣伝や、先入主に惑わされることなく、客観的に冷静に考察するならば、これらの国はすべて、かの反マルクス・レーニン主義的専制支配者、世紀的「屠殺者」である頭目スターリンによって完全に支配され抑圧され、頭目に忠実な共産党・労働者党の一党独裁のもとにおかれた、まさにファッショ的強力支配体制のもとにしばりつけられていたものだということが明白になるからである(以下略)」(山本二三丸『社会主義の虚像と実像』、青木書店、八二−八三ぺ−ジ)。

 東ヨーロッパ諸国の社会主義政権崩壊は「起こるべくして起こった変化」であり、「歓迎さるべき崩壊」であり、「強力支配体制を片づけたもの」であるという。理由は、「頭目スターリン」によって「ファッショ的強力支配体制のもとにしばりつけられていた」からであるという。スターリンが悪の張本人であり、スターリンの存在こそ社会主義発展の敵であったことになる。スターリンが出現しなければ、マルクス・レーニン主義はソヴィエトや東ヨーロッパ諸国で理想の花を咲かせたであろうか。一九二四年一月、レーニンの死去後、後継者として、なぜスターリンが選出されたのか。スターリンの解任は不可能であったか。理由は明白である。すでに党が一党独裁体制を確立し、党内民主主義は皆無であった。この解釈に対して次の反論がある。

 「……「一党独裁」というのは、たとえば「自由で豊かである」日本における自由民主党が享楽しているようなものである……」(山本二三丸、前掲書、一三九ぺ−ジ)。

 自由民主党が一党独裁であるという判断が、いかなる根拠によってなされたものであるか明確にされていないので理解不能であるが、民主主義国家である日本の政党と、社会主義国家であるソヴィエト連邦の政党とは、本質的にその性格を異にする。日本では議会で政権交代の可能性があるのに対して、ソヴィエトではその可能性はない。現に自由民主党は、一党独裁どころか、単独で政権を維持することが出来ず、三党連立政権の一翼に転落してしまった。ソヴィエト共産党は、ソヴィエト社会に自由で民主的な議会が存在しないため、政権交代の可能性もなく、やむなく交代せざるを得ない事態にいたると、交代でなく解体となる。社会主義国家の政治体制が、マルクス・レーニン主義の原則通り、一党独裁制を採用するかぎり、政権交代のルール不在は当然である。「一党独裁」が「自由民主党」であるという見解は、自由民主党が単に長期単独政権であったというにすぎない。国民の多数が自由民主党を支持した結果である。長期単独政権が好ましいとは考えないが、議会での政権交代の可能性が保障された社会では、国民の意思であり民主政の結果である。民主政下の単独政権は、それが長期継続しても、決して一党独裁ではない。自由民主党が一党独裁となるためには、自由民主党以外のすべての政党活動を禁止する法律を、自由民主党自ら制定し、公布した後に実現する。自由民主党は、「自由民主党独裁政権法案」を議会に提案していない。民主政下で、かならずしも不可能ではない。一九三三年三月、ナチス・ドイツが提案し議会で可決された「ドイツ授権法」はこれに相当する。社会主義国家が、常にプロレタリアート独裁を重視する根拠は次の一点にある。

 「資本主義社会と共産主義社会とのあいだには、前者から後者への革命的転化の時期がある。この時期に照応してまた政治上の過度期がある。この時期の国家は、プロレタリアートの革命的独裁以外のなにものでもありえない」(マルクス・エンゲルス全集、1875−1883,19,大月書店、一八−二九ぺ−ジ)。

 プロレタリアートの独裁と一政党の独裁とでは、その意味が本質的に異なることは明白である。自由で民主的な議会では、一政党の独裁という事態は出現しない。一見して独裁にみえても、単なる長期単独政権にすぎない。いずれ他の政党に交代するであろう。理由は国民に政治的自由が認められ、政権交代のルールが確立し、複数政党制が承認されているからである。しかるにプロレタリアート独裁となれば、一政党の問題ではなくなる。プロレタリアートの前衛が自己を共産党と称しても、党の性格は民主制国家の政党とは異質である。前衛党たる共産党は、全プロレタリアートを代表する全階級党である。全階級党であるがゆえに唯一無二であって、A全階級党、B全階級党といった党は存在しない。プロレタリアート全体を代表する前衛党は、個々の労働者の集合体である全労働者階級の利益代表であり、政党であるよりも階級代表機関という名の国家機関に接近した性格を有する。この全労働者階級に全権力をあたえることは、前衛たる共産党は、「労働者階級国家」の公権力遂行者となり、国家権力そのものとなる。それゆえ社会主義国家の共産党は、自由民主党や日本社会党といった政党とは異質の、国家政党であり、究極は国家となる。次の反論に注目する必要がある。

 「林氏よ、よく目を開いてここにある文字(4)をしっかりとお読みいただきたい。マルクスは、ナチスがやったような、自民党がやっているような、一政党の独裁などを言っているのではない。プロレタリアートという、社会主義社会建設の唯一の主力部隊である先進的な労働者階級の独裁を言っているのである。しかもこれは、社会主義社会のことではまったくない。社会主義社会以前の、社会主義社会を建設するために、この建設を妨害してあくまで勤労人民大衆の抑圧と搾取を維持しようとあらゆる「平和的」および強力的反革命闘争を強行する旧支配階級のいっさいの策動を強力的に弾圧するためのものである」(山本二三丸、前掲書、一一九−一四〇ページ)。

 社会主義社会建設のため、なぜプロレタリアート独裁が許されるか。「社会主義社会建設の唯一の主力部隊」が、なぜ「先進的」といえるのか。なぜ「唯一」なのか。「労働者階級の独裁」が実行される場は、「社会主義社会以前」の社会であるという。社会主義社会が成立する以前の社会で、社会主義社会の建設に反対する人々を、「強力的に弾圧」することが、なぜ許されるのか。疑問に対する解答は、ただひとつ、マルクス・レーニン主義の正しい理解にあるという。マルクス・レーニン主義そのものに対する検討は、いっさいなされない。マルクス・レーニン主義を信じ、実践することが「科学的社会主義」であるという思想は、もはや思想の域をこえて信仰の域にはいっている。マルクス教であり、レーニン教である。一九八九年以降の社会主義世界における政治変革は、まさにマルクス主義レーニン主義の科学的根拠が問われたのである。この疑問に対し、スターリン批判のみで正解をあたえることは困難である。なぜならスターリンこそ、「プロレタリアート独裁に反対した人々」、「社会主義建設を妨害した人々」を「強力的に弾圧」したからである。スターリンほどマルクス・レーニン主義に忠実であった指導者は他にみあたらない。東ヨーロッパ諸国の小スターリン達も同様である。チャウシェスクディミトロフホッジャも、すべて忠実な下僕であった。一九一七年のペトログラードで、一九四五年のワルシャワで、一九四八年のプラハで、プロレタリアート独裁の是否に関する完全自由選挙を実施すれば、共産主義政党の独裁制は存在しなかったであろう。反対政党の存在を認めない政権が、真に国民の支持を得ることはあり得ない。前衛党の独裁が過渡期であっても、過渡期という理由で独裁を承認することは決して許されない。過渡期が永遠に続くからである。一九一七年の過渡期は、一九九一年の崩壊にいたってもなお過渡期であった。第二説にいう方法論の誤りは、基本原則の誤りであったといいかえねばならない


  1. はじめに
  2. マルクス・レーニン主義欠陥説
  3. 社会主義建設失敗説
  4. まとめ

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