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ピンクのキャデラック

 まるでクレーンで降ろされてくるかのようにゆっくりとピンクのキャディラックが僕に迫る。

 これは勿論、夢の中の話である。現実的に考えてもそんな事はありえないし、第一僕は布団の中で横になっているのである。夢以外の何物でもない。だがしかし、夢とはいえ限度がある。

 どでかいピンクのキャディラック。

 そんなものが上からゆっくりと降りてくるのである。『なんてシュール。僕の想像力もついにここまできたか。』などと、最初のうちは思っていたのだが残り1メートルのところで僕にも限界がきた。幾ら夢とはいえその圧迫感は現実に勝るとも劣らない。第一こんなにも開放感の無い睡眠は健康にも良くないであろう。『仕方ない、起きるか』 そんな諦めにも似たような境地で、夢のせいで目覚めると言う何とも情けない事をしようとしたのだが……金縛りである。

 ああ、睡眠にはレム睡眠とノンレム睡眠と言うものがありレム(REM)と言うのはラピッド・アイ・ムーヴメントのことであり、この時脳は……

 夢からも醒め、学術的な事も思考できる中で金縛りは、現実の僕の動きを制約していた。そして――僕は未だにピンクのキャディラックの存在を感じている! 夢から目覚め、見える範囲(金縛りは解けていない)で周囲の確認を取ったところ、僕に圧迫感を与えるものは何も存在していない。だがしかし眼を瞑るとすぐそこにピンクのキャディラックを感じる事ができるのだ。右の運転席から男が顔を出した。そして僕と顔が合うと優しく、にっこりと微笑んだ。本当に無邪気に楽しそうに。

 僕はその瞬間、恐怖に錯乱した。その≪完全≫な微笑みの中にそいつの正体をつかんだような気がして。たかだか夢である。だがしかし、《コレハ オレノ ユメデハ ナイ》

「うぐぁ!」

 僕は呻き声と共に何とか金縛りから脱出した。布団を蹴っ飛ばして起き上がり、背中に走る悪寒を引っ掻き回す。躰中に脂汗をかいているらしく気持ちが悪い。ふと隣を見ると一緒に旅行している友達がすやすやと気持ちよさそうに寝ている。

「くそっ! 俺だけか」

 そう毒づきながら、九字〔臨兵闘者皆陳烈在前、九つの印〕を切る。気休め程度の簡略化した悪霊払いである。タオルで脂汗を拭いもう一度布団に入った。眼を瞑り、ピンクのキャディラックを探したが雲散霧消していて、気配すら感じる事が出来なくなっていた。僕は九字が効果を奏したのであろうと思い、もう一度眠りについた。


 そこは電車の中だった。良く覚えている。九州から本州に抜けるときに使った電車だ。電車の両側にしかシートが無い奴で、駅弁食えないとか言った覚えがある。そう確か小倉とか、門司とか言ってたはず。変なねずみの看板。ああ、スペースワールド。ださい名前のテーマパーク。そう、間違いない。僕はまだ九州にいる。

 九州と本州を結ぶ唯一の在来線のくせにがらがらに空いていやがって、多少不安になったんだっけ。覚えている。

 みんな、談笑してる。おどける奴もいる。つっこむ奴もいる。なんだか時間がゆっくり流れているようで気持ちがいい。そう、一体感さえ感じる。

 なんだか涙が出るほどうれしくて、一人一人、確認するようにゆっくりと眺めていった。まず僕の座っている方、進行方向に対して右側からゆっくりと確認していく。僕を抜かして3人。続いて対面。進行方向に対して左側。右の方のの人間からゆっくりと確認して行く。一人。二人。三人。四人?

 あの男は一体誰だ?

 なんでみんなと仲良く談笑しているんだ?

 そいつは僕に気が付くとゆっくりと優雅に立ち上がった。端整な顔立ち。にっこりと微笑む。僕はぞっとして動けなくなった。

 夢の中で、知らない奴がどうしてこんなにリアルな顔を持てるのか。通常の夢の場合、知らない奴の顔と言うものはぼんやりとして、はっきりと認識できないはずである。

 奴はゆっくりと僕の方に歩いてくる。電車は大きく揺れているというのに、奴は少しもふらふらしないで微笑みを絶やす事無くゆっくりと歩いてくる。僕はこの時、ようやく気が付いた。この男はピンクのキャディラックの男であると。「ぅわあああ!」

 心臓が大きく脈打っている。僕は肩で息をしながら周りを見渡した。誰も起きやしねぇ。一日に二回も怖い夢を見るとは思わなかった。だがしかし、あいつは誰なんだ。知った顔ではない。目鼻の整った端正で少し精悍な顔立ち。多少日に焼けていて爽やかな感じさえ与える。完全に顔を思い出す事ができるのだ。しかしながら……いや、だからこそ知った顔ではないと断言できるのだ。いったいあいつは誰なんだ。


 そこは近所のスーパー『いなげや』だった。僕はアルバイト先のツナギ、ジャンパーを着て昼飯を買いに来ているのだ。 「おう、久しぶりじゃねえか」

 後ろから声が聞こえた。振り向くと佐川急便の縞服を着た中学のときの同級生が立っていた。 「何だよ、久しぶりー」

 そう言いながら彼は僕の背中をバンバン叩いた。 「なに、お前も休憩?」

 そう言いながらお互いにバンバンと叩き合った。そうこうしているうちに、中学時代の友人たちがどんどん集まりみんなで背中をバンバン叩き合っていた。そしてその中心に僕が居ていつのまにか僕はみんなからバンバン叩かれまくってて身動きが取れないような状態になってしまった。

 みんながバンバン叩いてくるので仕方ない頭だけは守って全員の顔を見ると一人狂ったように頭をガクンガクンさせ、まるでヘッドバンキングでもしているかのように僕を叩いている奴がいる。

 他の奴は全員知っているが、こんな奴はまったく知らない。あまりにもそいつが叩くので不愉快になり(誰だって知らない奴から叩かれたら不愉快になるだろう)、そいつを突き放した。その瞬間、他の奴等も僕の背中をバンバン叩くのをやめて、急に静かになった。「いったいあなたは誰なんですか」

 僕が突き放した男はゆっくりと顔を上げていった。

「だれなんだろうね」

 僕は愕然となった。そう、あの男だ。男はにっこりと笑う。最高の微笑み。天使のような微笑み。しかし、雰囲気だけ非常に冷たい。

 ―――シニガミ―――

 僕は直感的にそう思い、布団から飛び起きた。


 この後は、記憶が定かではない。
 なので、この後は書かない事にする。何かオチでも作ろうと思ったのだが、どんな落ちも、真実や事実には勝てないものである。
 ここに書き綴ったものは怪談でもなく、小説でもない。これは僕自身の体験談であると言う事だけを明記しておきたいと思う。
 但し、夢の話を実話ととるかどうかは皆さんにお任せしたいと思う。


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