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第十二章 ミャンマー開かれた未知の可能性

E94−457 佐藤

第三節 市場自由化と対外解放への胎動

一 ビルマ式社会主義の放棄

 「ビルマ式社会主義」は、経済活動を鈍化させ、輪出の不振、対外責務の累積輪
入削減による国内の物不足など、様々な弊害を生み出し、1988には、民主化を
求める民衆の暴動で大きく同様した。その約ニケ月後に発足した軍政は、「ビルマ
式社会主義」の失敗を強く認識し、これを放棄、自由主義経済を基本とした、市場
経済の構築、対外開放を軸とする経済改革を開始した。しかし軍政という政体から
自由化は、きわめて部分的をものにとどまり、市場経済化は、思うように進まなか
った。また税収入減、国営企業の不振による上納金の減少などにより国家財政は、
悪化の一途をたどった。

軍政発足以降の消費者物価上昇率

1990年 17.6%
1991年 32.2%
1992年 21.9%

*渡辺利夫編『アジア経済読本』東洋経済新報社。P.256 参考、引用


二 変化を見せはじめる貿易構造

輸出
 軍政発足以後、ミャンマーでは貿易構造に変化が現れた。輸出では、農産品の取
り引き自由化により、輸出品目の主流が米から他の一次産品に移った。また市場経
済の導入にともなう民間取引の自由化は輸出品目をわずかに多様化させ、輸出は、
徐々に増加した。しかし、外資の導入が本格化しないため輪出産業の急速な発展は
期待できず、今後一次産品を中心とした加工製造業の動向が輸出増の鍵となろう。
輸入
 軍政という民主社会に逆行した政治体制をとったことに加え、民主化運動を武力
鎮圧したことなどで援助各国は、ODA供給を全面停止した。スーチー女史の軟禁
などによる人権抑圧問題でも非難を受け、アメリカ、欧州各国は、事実上の経済制
裁を開始した。ODA停止にともない関連する商品輪入が停滞し、商業輸入への依
存度が高まった。また、これに関連して、それまで規制対象になってきた消費財輪
入が拡大し、その額は増加傾向にある。
経済制裁の影響
 ODAの停止によって、それまで全貿易の30%近くを占めていた日本が後退し、
代わって安価を商品供給を行う近隣のアシア諸国が浮上してきた。また、ミャンマ
ーでは従来より欧米との貿易取引は、きわめて小額であったことから、経済制裁は、
事実上効き目がない事が指摘されている。

*渡辺利夫編『アジア経済読本』東洋経済新報社。P.257、P.258 参考、引用


三 鎖国政策の終焉と外国投資への期待

 ODA停止にともない、深刻な外貨不足に悩む軍政は、外貨取得のため、196
3年よりつづけてきた鎖国体制を撤廃し、市場を外国資本に開放した。1988年
には「外資法」を制定し外国企業の本格誘致に乗り出した。外資にとってミャンマ
ーは未開拓市場として有望であるのみならず、天然資源の豊富さや労働力・質、賃
金の面においてもASEANやNIESに対して比較的優位と思われる。しかし港
湾、空港、などのインフラや制度面での未整備は否めず、これに加え軍政という政
治の不透明さが投資家を遠ざける要因となっていることは間違いない。今後ミャン
マーヘの外国投資が本格化するにはまだまだ時間がかかかりそうだ。

*渡辺利夫編『アジア経済読本』東洋経済新報社。P.259、P.260 参考、引用


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