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経済哲学のすすめ!

ポパーの「三つの世界」を起点にして

三、第V世界

 話の順序からすれば、次は第U世界の考察でしょうが、私の結論が「第U世界( 経済哲学)の存在とその分析の必要性」を主張することであるため、第U世界のま えに第V世界の考察を試みておきます。

 この世界を構成するものは「論理的内容」であり、この世界の認識の性質とは、 論理的であるということです。それゆえ、問題は、「この論理性とは、何か。」と いうことになります。

 この世界での認識は、理論的言明としてあらわれ、それらはすべて、論理的合理 主義を主張します。では、論理的合理主義とは、何でしょうか。一般的に、論理と は、概念あるいは言明の連鎖の状態です。このような論理的状態には、思考におけ る論理と表現としての論理があります、もちろんしばしばこの両者は、渾然一体と なっています。しかし論理的合理主義を主張することは、論理における「無条件の 自明の理」を追求することです。というのも、それは、なんらかの「理性」を主張 することではなく、論理的「理性」(「無条件の自明の理」のもとで論理的誤りや 暖昧さを排除することが論理的合理主義なのですから。つまり、この「無条件の自 明の理」は、論理的な整理あるいは表現の論理形式での「オッカムの剃刀」にも相 当する格率であり、それ自体が「内容」の「自明の理」を主張するものではありま せん。なぜなら、論理上のそれとは異なり、思考上の「自明の理」は、形式的な論 理によってばかりではなく、内容としての「自明の理」をともなっていなければな らないからです。したがって、そのような「自明の理」は、すべての認識主体にとっ ての無条件の「自明の理」とはなりえません。「無条件の自明の理」が意味する無 条件の妥当性は、「存在論ぬきの論理」あるいは事象に関係のない論理的規則に従 うところの論理の構造においてしか存在しません。「存在論ぬきの論理」は、個別 の認識主体からは独立した、論理の形式としての「自明の理」です。それだからこ そ却って無条件に、言明の整理や表現あるいは伝達という目的をはたすことができ ます。そして、この論理形式の基本的な性質である「無条件の自明の理」は、トー トロジー(tautology)として現われます。トートロジーという形式は、思考の形 式のように「ものそれ自体をとらえようとする」ための形式ではありません。トー トロジーという形式は、事柄を「述べる」ための形式です。つまり、ト−トロジー という形式は、既に獲得されている内容を、自分も含めてすべての人々にたいして おおやけ(public)にするという、言明の整理や表現あるいは伝達という手段(or ganon)なのです。つまり、「内容」にたいする正否は別として、論理的に整合し ないものは排除され、論理的に整合しているものは、そのかぎりで伝達可能となる わけです。ちなみに、論理にまつわってさまざまな意味を付されているロゴスも、 「語り(アポファンシス)」という意味を本義としているのです(〔1〕107− 10頁)。

 このトートロジーという形式を最も遵守する立場は、公理主義です。この公理主 義が経済学で採用されるならば、推論の作業でまず経済的な公理と前提条件が措定 されます。そして、その演繹過程は、経済学的な解釈から完全にきりはなされ、論 理的規則に準拠してすすめられます。経済的な解釈は、漸く、この過程からの帰結 にたいしてのみあたえられるのです。

 第V世界の認識は、上記のような論理的営為です。つまり、トートロジーという 論理性のもとで、ある一定の命題からどのような帰結が得られるのか、一定の帰結 を得るための最少の条件は何か、が追求されたり、また、ときには異なる公理体系 間の整合的な統一がはかられます。そして、このような論理的営為の結果は、第T 世界にたいして論理的認識手段として提供されます。

 ここで、同じ作業の延長線上で、第V世界にとって重要な仕事が一つあります。 それは、論理概念を創出することです。論理概念とは、論理的連鎖のなかでつくら れる概念のことです。たとえば、経済学の教科書でしばしばあらわれる「弾力性」 という概念はその一例です。それは、トートロジーの形式で論理的に定義されてい ます。そして、この論理概念も、さきほどの演繹体系の帰結と同様に、第T世界へ の論理的認識手段として提供されます。

 ここで、第T世界のときと同様に第V世界の客観性について述べておきましょう。 この世界の客観性は、「無条件の自明の理」という論理性にあり、それはトートロ ジーという論理形式にあります。つまり、このトートロジーという論理形式は、ど んな音をのせようとも、すべての人のもとに届く電波であり、その音波を聞くこと を好むか好まないかはその電波の周波数には関係のないことです。

 この世界について結論を述べるまえに、他の世界からこの世界にあたえられるも のを述べておきましょう。第T世界は、論理的営為の主題とか、公理や前提条件を 選択するさいの基準とか、論理的帰結の経済的解釈などの「意味内容」をこの世界 にあたえます。一方、第T世界は、経済現象に実用的に役立つ論理的認識手段を創 出することをこの世界に要請し、経済現象にたいして実用的でない論理的認識手段 を破棄するとかこの世界に差し戻すことになります。

 それでは、第V世界についての結論を述べます。第U世界における認識の性質は、 論理的合理性を追求するという意図のもとで、論理性を主題とするということです。 そのことを端的に表現すれば、「認識者の論理」ということになるでしょう。それ ゆえ、この世界の認識は、論理性という真理基準によって評価されます。また、こ の世界は、第U世界から「意味内容」を、そして第T世界から「現象による実用性」 を供与されると同時に、それらの世界のなかで生じた概念を、論理的明証性という テストにかけることになるのです。

浦上博逵「経済学再考」『現代のエスプリ 経済学:危機から明日へ