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経済哲学のすすめ!

ポパーの「三つの世界」を起点にして

五、ポパーについて

 私の図式を説明した後で、再びポパーに、多少、触れておきます。というのも、 ポパーの考えのなかに私に有利な主張を認めることができるからです。

 まず、第U世界についての議論つまり形而上学的議論の必要性は、そもそもポパ ーの図式自体が形而上学的性格を有しているということからもあきらかです。つま り、このような図式を最初に提示したポパーも、実は形而上学的議論をしているの です。

 次に、ポパーの社会科学にたいする方法論を簡単にとりあげてみましょう。

 ポパーは、「方法の単一性」と称して、「すべての理論的科学、つまり一般化を おこなう科学は、それが自然科学であると社会科学であるとを問わず、同じ方法を 用いているという見解」(〔2〕198頁)を表明します。その方法は、いわゆる 「反証」を裁定者とする「仮説の方法」ですが、とくに反証の機能が明確に作動し ない社会科学においては、彼は、「状況の論理」を提案します。この「状況の論理 」は、要するに批判的論議を可能にしようとする試みです。そのひとつの方法を、 「ゼロ方法」ポパーはよびます(〔2〕212頁)。そしてそれは、次のような ものです。

 人間は、多かれ少なかれ、合理的に行動する。このことが、人間の行動について 比較的単純なモデルを構築することを可能ならしめ、このモデルを、一種のゼロ指 標として用いて、人々の現実の行動の、それからの偏差をわれわれは評価する。

 ポパーは、経済学のなかで、「限界効用理論」をゼロ指標の典型としてとりあげ ています(〔4〕165頁)。「限界効用理論」がこのようなモデルとして妥当か どうかは別にしても、「完全情報のもとで合理性をもつという仮定」にもとづいて、 「限界効用理論」というモデルを構築することは、私の主張する、第V世界の営為 ではないでしょうか。また、このモデルを用いて、現実の人々の行動を照射すると いうことは、それが、論理的認識手段として、第T世界で用いられるということの 証左ではないでしょうか。ポパーは、注意深く、「私はこのことが世界3の対象を 実在的と呼ぶ唯一の理由であるとも、またそれらは手段以外の何物でもないとは思 わない」という注釈をつけながら、世界3の対象は「実在的である。なぜなら、そ れらは世界1を変革する強力な手段なのである。」(〔5〕上・79頁)と主張し ます。もちろん、ポパーのこの主張は、自然科学を念頭においたものです。しかし、 これらのポパーの言明をここでの文脈に重ね合わせてみましょう。「限界効用理論 」、あるいはもっと論理的に純化された言い方をすれば、「合理性の原則」は、単 に索出的なモデル以上の、積極的な意味をもって世界1に関わってくることになり ます。つまり、「合理性の原則」が述べるような生活様式にわれわれの生活様式を 変革せよ、と−もちろん、経済学の分野でここまでポパーを追いやることは、不公 平でしょうが−。しかし、いま少し控え目に言ったとしても、このような論理的 認識手段は、第U世界からの影響を十分すぎるほど受けているのではないでしょう か。つまり、論理的認識手段は、ポパーの強調するような世界3だけの自律的過程 で発生した、価値判断とは独立した客観的な存在ではないのです。

 また、そこまで詮索しなくとも、なぜ、さまざまな索出的なモデルが考えられる なかで、「限界効用理論」というモデルが選ばれたのか、という問いにたいしても、 第U世界を除く第V世界だけでは答えられません。こうして、ポパーにあってさえ も、以上の問いに答えるためには第U世界を分析する「経済哲学」研究が要請され ているのです。

浦上博逵「経済学再考」『現代のエスプリ 経済学:危機から明日へ