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学問 〜自己満足の世界〜 テキストデータ

学問 〜自己満足の世界〜
城西大学経済学部経営学科4年
B94 山路博之
城西大学経済学部森田ゼミナールU


〜目次〜
序章
第T章:何故、日本の物価は世界と比べて高いのか(経済学)
第U章:何故、戦争は起きるのか(国際政治学)
第V章:何故、男は女を愛し、女は男を愛するのか(大脳生理学)
終章
あとがき
「学問 自己満足の世界」に戻る


序章

学問とは自発的行為である
 学問とはどういうものであろうか。学問とはその名の通り、自ら問いかけて学んでいく作業のことである。果たして、自ら問いかけて学んでいく作業のことを学問というのであろうか。

 この疑問を解決する視点として、学問をする主体者を考えてみたい。なるほど、たしかに学問をする主体者は、他の誰でもない自分自身である。このことより、学問とは自ら問いかけて学んでいく作業のことである、といえるわけである。

 さて次に、そうした作業を何故行うのか、という疑問がわいてくる。すなわち、学問を行う動機とはいったいどういうものであろうか。

 学問を行う動機として、主に次の二つが考えられる。一つは、「わからないことを理解したい」という、知的探究心という欲求からくるもの。もう一つは、「他人を幸せにしたい」という使命感からくるもの。要するに、学問という作業を何故行うのかといえば、それは「自分のため」あるいは「他人のため」にするわけである。

 さて、学問と似た作業(行為)に勉強というものがある。この勉強という行為にも、学問と同様に「自分のため」あるいは「他人のため」という動機がはたらいていると考えられる。とすると、学問と勉強とは全く同じ性質をもった行為なのであろうか。

 果たして、学間と勉強は同じ性質をもった行為なのであろうか。たしかに、両者ともに同じ動機が当てはまることは事実である。しかしながら、両者において決定的に違う点が一つある。それは、動機を満たすために行う姿勢である。

 例えば、我々日本人ならば、一度は次のような言葉を耳にしたり、口にしたことがあるだろう。「勉強しなさい!」と。しかし、「学問しなさい!」という言葉はどうであろう。すくなくともこの点から考えると、両者は微妙に異なる性質をもっているといえるのではないだろうか。さらに、国語大辞典によれば、勉強を「気がすすまないことを、しかたなしにする」という意味でとらえている点。一方の学問の説明にはそのようなニュアンスは一切見受けられない(A参照)。

「A」辞典の意味から検討する勉強と学問の違い
 勉強…そうする事に抵抗を感じながらも、当面の学業や仕事などに身を入れること。
 学問…今まで知らなかった知識を教わり覚えること。基礎から積み重ねられた専門知識。
 (『新明解国語辞典』より抜粋)

 勉強…無理にでも努力して励むこと。
 学問…学び習うこと。学んで得た知識。科学や哲学など、知的活動の総称。
 (『岩波国語辞典第5版』より抜粋)

 勉強…物事につとめ、励むこと。
 学問…物事を研究すること。学び習うこと。また、それによって得た知識。
 (『講談社 カラー版 日本国語大辞典』より抜粋)

 このことから総合的に判断すると、勉強と学問の相違点は、自発的なのかどうかという点で区別をすることができる。つまり、学問とは、「自発的に自らの知的欲求を満たすために行う行為であったり、あるいは他人の幸福を願う使命感を達成するための行動である」ということがいえる。

 さて次に、自発的に自らの知的欲求を満たすために行った行為や他人の幸福を願う使命感が、達成されたかどうかをどうやって判断するのであろうか、という疑問がわいてくる。

学問とは自己満足の世界である
 学問が、自らの知的欲求や使命感を満足させるために自発的に行う行為である、ということは先ほどふれた通りである。では、そうした行為によって導き出された結論や結果が、「満足のいくものかどうか」を、誰がどうのように判断するのであろうか。

 自らの知的欲求や使命感を満たすために自発的に行われた行為によって導き出された結論や結果が、満足のいくものかどうかを判断する人物として、「自分自身」があげられる。

 たしかに、「わからないことを理解したい」や「他人を幸福にしたい」という知的欲求や使命感が達成されたかどうかを判断するものとして、他人の評価があげられることは事実である。しかしながら、あくまでも「他人の評価」は、本人が最終的判断を下す時の一つの材料でしかすぎない。つまり、満足のいくものかどうかを最終的に判断するのは、他ならない自分自身である。

 要するに、自らの知的欲求や使命感を満足させるために自発的に行う行為が学問である以上、そこから得られた結論や結果に満足するかどうかは自分で判断するわけである。

 例えば、学問によって得られた結論や結果が他人にとっては不本意なものであっても、本人が他人の評価を一切気にしなければ、「満足のいく結論・結果」として、判断するわけである。このような状況は何を物語っているのであろうか。

 このことから言えることは、「学問とは自ら問題提起をして、自らの判断によって満足を得ようとする作業」といえる。つまり、学問の行き着く先は、自己満足の世界ともいえる。

 以上のことから、「学問とは自らの知的欲求や使命感を満足させるために自発的に行う行為であるとともに、自己満足の世界である」ともいえる。

学問的行為者の学問的行為
 学問とは自己満足の世界である。さらにつきつめれば、学問は自分だけにしかわからないものであってもいいわけである。

 たしかに、己だけにしかわからない心や頭の中で空想してもよく、又自分だけの「コトバ」で表現してもいいわけである。何故なら、それが学問という性質であるからだ。しかし、もしも「自分の学問内容について他人からの称賛を得たい」という知的欲求とは異なる”欲求”が起こり、それを解消したい場合にはどうすればいいのであろうか。

 つまり、自分の学問内容に関して、「できれば他人に認めてほしい」や「できれば他人に褒めてほしい」という欲求が起こった場合にどうするかである(B参照)。

「B」明らかに欲求が向けられる対象物の異なる両者
前者:欲求 → ?(疑問)
  「疑問を知りたい」という対象物に向けられる知的欲求
後者:欲求 →  (他人の称賛)
  「他人からの称賛を獲得したい」という対象物に向けられる欲求

 当然、後者の欲求を満たすためには、いままでのような自分にしかわからないやり方では、他人からの称賛はもちろん伝達することすら不可能である。そこで、他人にもわかってもらうためには、共通の伝達方法を用いる必要がある。それは、例えば共通の言語を用いた会話や論文などによる方法である。

 繰り返しになるが、本来学問とは、自分が満足すればそれで成立するものである。つまり、学問が成立する最低条件は、自分が満足できる状況が確立されればいいわけである。だが、自分が満足できる条件に他人の称賛(評価)が必要になった場合どうするのであろうか。すなわち、一旦は満足したものの、その後、「他人にも認めてもらいたい」や「他人にも褒めてもらいたい」という他人の評価を希望する行為(他人の称賛を希望する欲求)が起こった場合である。この場合は、先ほど述べたように、他人にも理解できる共通の言語を用いた会話や論文などで伝達する必要が出てくる。

 だが、もしも仮に、最初から他人の評価だけを求めて学問をした場合はどうなるのであろうか。このような場合でも、真理や事実を正しく伝達していればなんら問題はなく、学問から逸脱した行為でもない。しかしながら、問題なのは次の場合である。それは、他人の評価を気にするあまりに、真理や事実を歪曲した場合である。これは、学問というよりも、むしろ「学問的行為]という形で区別する必要がある。

 たしかに、学問とは自己満足の世界ではあるが、そのことを理由に嘘八百を並べ立てて、他人の気に入る結論を世間(社会)に出しても良いわけではない。何故なら、こうした虚偽の学問報告により、迷惑を被る多くの人達が出てくる恐れがあるからだ。要するに、己の学問内容を他人に伝達して、「他人の評価」を受ける場合には守らなければならない最低限の約束ごとがあるわけである。

 以上のことから、学問を真剣かつ純粋に行っている人達に配慮をする意味で、最初から他人の良い評価のみを求めて学問を行い、時として事実を歪曲する状態を学問的行為と呼び、そういう人物を「学問的行為者」と称することにする。

 さらに言えば、学問を行うのに政治的配慮は必要ないわけである。政治的配慮とは、ウソのことである。ウソの含まれた学問内容は、他人はもちろんのこと、自分にとっても害以外のなにものでもないはずである。何故なら、ウソを含んだ学問内容を自らが提示して、「満足のいく学問ができた」という心理に果たして本人がなれるかどうかを考えれば一目瞭然であるからだ。又、ウソの含まれた学問内容が他人に及ぼす具体的な影響は、少し考えてもらえればおわかりのことであろう。

 以上のことより、学問に対して政治的配慮を行えばそれを学問的行為と呼び、そういうことをした人物を学問的行為者と称したい。

学問は必ずしも社会の役に立たないのは当然
 学問とは、自らの欲求(知的欲求と他人からの評価を得たい欲求)や使命感を満足させるために自発的に行う行為であるとともに、自己満足の世界でもある、ということは先ほどふれた通りである。それ故、学問の本来の性質を考えれば、必ずしも社会の役に立たないのは至極当然の結論である。果たして、学問は必ずしも社会の役に立たない存在なのであろうか。

 日本国語辞典によれば、学問という言葉の用い方として次のような文章が掲載されている。学問は社会の役に立たない。おそらく、学問に従事している者であれば、一度はこのような文章を耳にしたり口にしたことがあるだろう。この、「学問は社会の役に立たない」という文章はどういう意味を含んでいるのであろうか。文字通りとらえれば、学問は社会に何の役にも立たない存在である。つまり、学問は、社会で生活する我々多くの人間にとってなんの役にも立たない存在なのである。

 なるほど、この文章を文字通り素直にとらえれば上記の通りである。だが、この文章を逆説的にとらえればどうなるであろうか。すなわち、「学問には社会の役に立ってもらいたい」という心理がこの文章に隠されていた場合はどうなるであろうか。つまり、社会は学問に対して大きく期待している場合である。たしかに、社会が学問に寄せている期待を考慮して、「社会や他人の役に立ちたい」という使命感をもって、学問を行う人もいるだろう。しかし、そうした動機をもった人すべてが、社会が学問に寄せる期待に応えることはできないのである。又、学問を構成する動機は、使命感だけではないはずである。自らの欲求や自己満足を求める行為として、学問を行っている人もいるわけである。そうした「自分のため」による動機として出発した学問が、結果として多少は社会の役に立つことはあっても、必ずしも社会の役に立てれるとは考えにくい。以上のことから、「自分のため」や「他人のため」による動機から出発する学問には、必ずしも社会の役に立つことはできないのである。

私的空間と公的社会をつなぐ方法 論文
 これまで述べてきたように、学問とは、自らの欲求や使命感を満足させるために自発的と行う行為であるとともに、自己満足の世界でもあった。城西大学の西勝忠男教授によれば、「学問とは知的営為の世界」という。又、ノーベル物理学賞の湯川秀樹博士は、「学問とは、自分を納得さすことだ」という心境を語っている。いずれにしても、学問は己の脳という「私的な空間」の中で展開されているものにすぎない存在である。

 そのため、他人との関係によってさらなる学問の進歩や発展の糸口を期待したり、あるいは普遍的な価値を獲得したい場合には、私的な空間で形成された学問内容を外の社会に向けて発信する必要が出てくる。つまり、己の脳という私的な空間で展開された学問を、情報として公的な社会を形成する大勢の他人と共有するには、双方をつなぐ「かけ橋」としての方法が必要になってくる。例えば、共通認識が可能な言語による会話や論文などの文章による方法があげられる。

 ここでは、個人の脳という私的な空間によって展開された学問内容について、普遍的な記述を与えるために、論文という方法を用いたい。普遍的な記述とは、「わたしにとってそうであるだけでなく、あなたにとっても、誰にとってもそうであるとわたしは思う」というものである。さらにここで扱う論文とは、「ある問題についての、自分の主張をなんらかの調査に基づいて、合理的な仕方で根拠づけようとする、一定の長さの文の集まり」である。

 さて、これから論文という手法を用いて、己の学問内容に普遍的な価値を与えようとする「問題児の問題作」は、次の三点である。

 第T章:何故、日本の物価は世界と比べて高いのか(経済学)
 第U章:何故、戦争は起きるのか(国際政治学)
 第V章:何故、男は女を愛し、女は男を愛するのか(大脳生理学)

 以下で、基本的な論文の作法を踏まえながら、上記の三つの問題について論じていきたい。


「序章」での引用文献・参考文献
・監修 梅棹忠夫,金田一春彦,阪倉篤義,日野原重明
『講談社 カラー版 日本国語大辞典第二版』
(講談社,1995年)370/1972ページ
・小川岩雄 解説『朝永振一郎著作集5 科学者の社会的責任』
(みすず書房,1982年)
・編者 金田一京助,柴田武,山田昭雄,山田忠雄『新明解 国語辞典』
(三省堂,1989年)207/1172ページ
・小林康夫/船曳建夫『知の技法』
(東京大学出版会,1994年)4ページ
・田中美知太郎『学問論』(筑摩書房,1969年)
・戸田盛和『朝永振一郎 著作集 別巻T 学問をする姿勢〜補遺33篇〜』
(みすず書房,1985年)
・編者 西尾実,岩淵悦太郎,水谷静夫『岩波 国語辞典 第5版』
(岩波書店,1994年)185/1058ページ.
・西山邨夘三,早川和男『学問に情けあり〜学者の社会的責任を問う〜』
(大月書店,1996年)
・編者 松村明,山日明穂,和田利政『旺文社 国語辞典』
(旺文社,1992年)
・村田全『学問の中の私』(玉川大学出版部,1995年)
・森本哲郎『学問への旅』(佼成出版社,1985年)
・山本啓+現代文化研究所『歩く速度の学問』(河合出版,1991年)
・編集・解説『湯川秀樹著作集1 学問について』
(岩波書店,1989年)237〜240ページ


2.第T章:何故、日本の物価は世界と比べて高いのか(経済学)

(1)はじめに
 我々は、日常生活を営むに当たって、食料品、衣料品など多種多様な商品を購入しているほか、理容、クリーニングなど各種のサービスを利用している。また、企業間でも膨大な商品や、貨物輸送、広告・通信などの各種サービスが取引されている。これらの商品やサービスには、改めていうまでもないことだが、それぞれ価格(値段)がついている。このように、経済活動の中で取引されそいる商品やサービスの価格を沢山集めて、それらの平均値を求めたものを個々の商品やサービスの価格と区別して「物価」という。

 それでは、物価という概念は、何故必要になるのであろうか。これを、通貨価値、つまりおカネの値打ちとの関係で考えてみたい。通貨の価値は、それによってどの程度の商品やサービスを購入できるかによって決まってくる。お札(例えば一万円札)の価値について考えると、購入する商品やサービスの価格が上昇したために、それ以前に比べて少ない商品やサービスしか購入できなくなったとすれば、その分だけ一万円札の値打ちが下がったことになるわけである。この場合、購入する商品やサービスの価格が平均してどの程度上がったかを測る物差しが物価に他ならない。このように考えてくると、物価という概念は、おカネの値打ち、つまり通貨の購買力の変化を捉えていくうえで必要不可欠なものであることがわかる。

 商品やサービスの価格は、主に次の四つの要因によって変動するものと考えられている。需給要因、コスト要因、為替要因と海外要因、季節要因の四つの要因があげられる。ただし、同じ要因でもその時々の内外の景気の局面、金融情勢など、経済環境に応じて物価への影響度合いが異なる場合がある。つまり、こうした場合、値上がりする商品もあれば、その一方で値下がりする商品もあるのが一般的である。このように、多数の商品やサービスの価格がおのおの多様な要因によって変動し、結果として、それらの価格比が変化していくことを相対価格の変動という。

 商品やサービスの価格がさまざまに変動しても、それが相対価格の変動にとどまり、平均的な価格水準(以下で「一般物価水準」と称す)が変化しないのであれば、それ自体は、家計や企業などの各経済主体、ひいては経済全体に悪影響を及ぼさないと考えられている。すなわち、個々の商品・サービスの需要、供給の過不足は、時々刻々価格の上昇・下落というかたちで個々の商品・サービスの価格に反映されている。その一方で、供給サイドにおいては、そうした価格情報をいわばシグナルとして、ヒト・モノ・カネといった経済的資源を需給が逼迫している、ないしは、より儲けの大きい商品・サービスヘ振り向ける動きが起こり、結果として国民経済全体としてバランスのとれた生産と効率的な資源配分が達成されるわけである。

 しかしながら、相対価格の変化を伴いつつ、一般物価水準が持続的に上昇していくと、それは、金融資産の目減り、企業活動の抑制など、家計、企業など各経済主体に深刻な影響をもたらしている。こうした一般物価水準の持続的上昇をインフレーションという。これに対して、物価が下落ないし極めて安定している状態は、ディスインフレーションと呼ばれ、このように物価の安定基調が持続する場合には、経済成長が促進されることが知られている。なお、ディスインフレーションと似た言葉としてデフレーションという用語があるが、これは経済活動の極度の停滞と物価の急激な下落が同時に起こるケースを指している。

 さて次に、物価水準自体が問題とされるケースを考えてみたい。その端的な例が、これから取り上げる内外価格差の問題である。これは、各国の物価上昇率を比較するのではなく、ある時点における各国の平均的な物価水準ないし特定の商品・サービスの価格水準を比較するという問題の捉え方である。各国間の物価水準の比較はなかなか難しいといえるが、近年の国際化に伴うヒト・モノ・カネの交流が一段と深まっていることを勘案すれば、主要国間の物価水準の格差は縮小の方向にあると考えられるのが当然である。しかしながら、後で詳しくみるように、わが国の物価水準が他の主要国に比べ割高という側面を有しているとすれば、そのような価格差がいかなる要因によって生じているかを的確に把握していくことが、国民の経済的厚生を高めていくうえで極めて重要といえる。

(2)為替レートの変化
 日本の物価が諸外国に比べて高いといわれ始めたのはいつの頃からだろうか。おそらく、1985年9月のプラザ合意を転機として、為替レートが円高に移行して以来ではないだろうか。プラザ合意とは、主要国の大蔵大臣・中央銀行総裁(当時のG7)が二ューヨーク市内のプラザホテルに集まって、ドル高是正に合意したことである。これをきっかけとして、為替レートは一気に円高・ドル安の方向に動き始める。念のためにこの時期以降の為替レートの動きを確認しておこう(C参照)。

「C」1980年以降の為替レートの変化
出所:IMF,『INTERNATIONAL FINANCIAL STATISTICS』93年版。

 グラフ「C」は、1980年以降の為替レート(円ドルレート)の推移をグラフにしたものである。80年代の前半、円安、ドル高基調できた為替レートは、85年9月のプラザ合意を一つの転機として急速に円高ドル安の方向に動き出す。プラザ合意以前には1ドル=240円であったものが、3年後の88年には1ドル=125円にまで円高に進み、その後は多少の円安方向への逆戻りがあったものの、93年のはじめからまた円高方向に進み始め、94年の6月には1ドル=100円を切ってしまった。

 何故円高基調になると、日本の物価が注目されるのであろうか。次のような計算がよく引き合いに出される。海外で1台1万ドルで売っている自動車を考えてみよう。これを1ドル240円で輸入すれば240万円という計算になる。しかしもし1ドル=100円になれば100万円という計算になる。要するに、2.4倍の円高になれば海外から輸入した商品は2.4分の1になるという計算なのだ。もちろん、こういった単純な議論は正しくない。輸入品といえども国内の流通を通って消費者に届くのだから、国内の流通コスト分は円高とは関係がない。つまり、流通コストは我々が予想するよりも、はるかに高いわけである。しかしそうはいっても、やはり日本の物価は高いというのが大方の人の印象なのではないだろうか。以下で、その印象を検証してみることにする。

(3)内外価格差の現実
 やはり日本の物価は、世界の国々と比べて高いのであろうか。このことを検証するためには、個々の商品の価格を海外の主要国と比較する必要がある。そこで、経済企画庁が94年に作成した『物価レポート’94』の中での「小売り価格の国際比較」をみていくことにする(D参照)。

「D」小売り価格の国際比較(1994年11月)
出所:経済企画庁『物価レポート’94』1994年11月調査。為替レートは94年平均。1ドル=102.21円、1ポンド=156.54円、1フラン=18.41円、1マルク=62.98円。

 表「D」からわかることは、現行の為替レートを前提とする限り、多くの商品の日本での価格が海外での価格のそれよりもだいぶ高くなっていることがわかる。こうした個別の品目の事例から、日本の価格が海外のそれよりも高い理由として次の四つが考えられる。第一の理由は、コメのように輸入制限が行われていて、海外から安い価格の商品がまったく入らないか、入りにくいケースである。コメのように何らかの措置により輸入品の価格の動きが国内価格に波及しないものを、国家貿易品目という。コメの他に、国家が安全保障の見地から独占的に貿易を行い得るものとしてGATT(関税貿易一般協定)上も認められた品目として、小麦や武器などがあげられる。これらの品目が物価指数に占めるウエイトについては、武器が物価調査の対象となっていないこともあって、1〜2%程度となっている。このほかにも、砂糖、生糸、葉たばこなどについては価格支持制度が、ガソリン、軽油などについては価格に関する行政指導が存在している。又、牛肉、オレンジなどはこれまではGATTの承認を得ずして輸入数量を制限するいわゆる残存輸入制限品目であったが、91年からは自由化されるに至った。もっとも、国内農業保護の観点から高率の関税が適用されており、現在のところ内外価格差が十分解消するに至っていないのが実情である。こうした価格支持制度の卸売物価指数(=企業間で取引される商品の価格変動を総合的に捉える指数)に占めるウエイトは1%にも満たない水準ではあるが、石油関係の行政指導については3〜4%となっており、又牛肉、オレンジなども3〜5%の割合を占めている。以上、輸入品との価格遮断のための政府規制のウエイトの合計は卸売物価で9%弱、消費者物価で10%強に達している(1994年11月時点)。第二の理由として、ブランド品があげられる。メーカーや流通業者の戦略によって、日本の国内の価格が海外での価格よりも高く設定されているケースである。日本におけるブランド品の化粧品やバックなどの値段の高さは誰もが知っていることである。それ故、多くの人が海外旅行先でブランド品を買いあさっているわけである。第三の理由として、もろもろの規制が関わっていることがあげられる。その代表的な例として、住宅があげられる。あるNHKの番組で、同じ設計図に基づいた輸入住宅で、アメリカで1100万円で建った住宅が日本では2900万円したという事例が報告された。その費用の中身をみると、日本の材木の規格であるJAS(日本農林規格)を通すためのコストが予想以上にかかる、水道業者は指定業者でないと利用できない、水道の蛇口などの部材は認可がおりたものでないと使えないため海外の安いものは利用できないなど、規制がからんで国内の住宅が異常に高くなることが分かる。規制が国内価格をつり上げている例としてよく挙げられるのは、この他に、国内の航空運賃、高速道路などの公共料金などがある。第四の理由として、海外から輸入することができないために価格が高くなるものもある。経済学で非貿易財と呼ばれるもので、タタシーや金融などのサービス、輸入費用が高く貿易に適さない商品などである。こういった財やサービスは国内での価格が変わらなくても、円高によって為替レートで国際比較すると相対的に高い価格になってしまう。例えば、初乗り500円のタクシーは1ドル240円なら約2ドルという計算になるが、1ドル=100円なら5ドルとなってしまう。国内でみれば変わらなくても、海外からみたら高くなるわけだ。

 非貿易財の中でもっとも重要なのは流通サービスである。円高の中で日本の流通サービスの費用は国際的に突出して高くなっている。せっかく安価な商品を海外から輸入しても、コストの高い日本の流通経路を通っているうち、消費者に届くまでに非常に高い価格になってしまう。以上、少し考えただけでもわかるように、日本の価格が諸外国に比べて極端に高い理由は単一ではない。例えば、トルストイの小説『アンナ・カレーニナ』の書き出しに、「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである」というくだりがある。物価問題にもこれと似た側面がある。価格が高いのはそれぞれの分野によってそれぞれ異なった理由があり、一様ではないのだ。このような個別の商品についての日本国内の価格の高さは、当然、一般物価水準にも反映されているはずである。一般物価でみて日本の物価が海外に比ベてどれだけ高いかを確認する一つの方法は、標準的な家計が生活するうえで必要な財のバスケット(組合せ)を想定して、その価格を算出することである。先ほど日本の水準が世界の主要国と比較して高いことは表の「D」でふれた通りだが、経済企画庁はさらに、生計費全体についても東京と欧米の4都市を比較した。それによると、東京の生計費は二ューヨークの1.52倍、ロンドンの1.50倍、パリの1.43倍、ベルリンの1.44倍という結果が出ている。又、日本の場合には土地や住宅費が高いのはもちろんだが(E参照)、それを除いても東京(日本)は世界と比べて物価の高い都市(国)であるといえる。

「E」住宅価格の年収に対する倍率と東京を100とした指数による土地価格・住宅面積の比較(戸建住宅)(1994年1月現在)

住宅価格の年収倍率

 国土庁および日本不動産鑑定協会「世界地下等調査」から作成。対象は、都心から約1時間以内の居住環境が良好な土建住宅。住宅価格は、土地・建物の総額。土地価格は単価。敷地面積は標準。

(4)むすび
 以上からわかるように、現在の日本の物価の高さの背景には、さまざまな現象が複雑に関わっている。物価問題を解消するためには、こういった多面的な問題を考慮に入れたトータルな政策的対応が必要であろう。しかし、本論での主たる関心は、何故、日本の物価が高いのかその要因を探ることであり、そうした問題点をどう解決していくべきかといった政策を論じていくつもりはさらさらない。そうした「べき論」の類いは、評論家や政治家の先生方にお任せしたい。


「第T章」での引用文献・参考文献
・伊藤元重+伊藤研究室『日本の物価はなぜ高いのか〜価格と流通の経済学〜』
(NTT出版,1995年)3〜16ページ
・大友篤『統計1997年9月号』(日本統計協会,1997年)
・河合信和「小売価格の国際比較」『朝日新聞ジャパン・アルマナック1997年』
(朝日新聞社,1997年)199ページ
・田村祥蔵『物価の知識』
(日本経済新聞社,1992年)13〜15/153〜172ページ
・都留重人『物価を考える』(岩波書店,1967年)
・丸岡秀子『物価と家計簿』(岩波書店,1963年)
・水沢渓『規制緩和で物価は下がる』(三一書房,1994年)
・編集 財団法人 矢野恒太郎記念会『世界国勢図絵1996/97年版』
(国勢社,1996年)483ページ
・編集 財団法人 矢野恒太郎記念会『日本国勢図絵1997/98年版』
(国勢社,1997年)
・L.N.トルストイ,中村融 訳『アンナ・カレーニナ(上)』
(岩波文庫,1989年)


3.第U章:何故、戦争は起きるのか(国際政治学)

(1)はじめに
 歴史をひもとき、戦争の進化の跡に分け入り、破壊と殺戮によって何が得られたかを知り、そこから教訓、知恵、活力を引き出すことは大変重要なことである。とりわけ知る必要のあること、それは戦争という名の人間の行為が何であったかについての理解ではないだろうか。

 古代から現代まで、国家関係の最終決着の在り方が、同じ戦争という言葉でくくれるような社会現象でありつづけているのか、それとも技術発達や国際環境変化による「突然変異」のせいで、まったく違う性格の破滅的な暴力になってしまったのか、そのあたりをよく理解することは大切である。そうでないと、知らず知らずのうちに、「よい戦争」に賛成させられたり、ありきたり常識に説得されるままに「人間の本能」や「社会の必然」を根拠に戦争を受け入れることになりかねない。

 又、戦争という問題解決方式から離れる、つまり戦争をなくす努力がいかに連綿とつづいてきたかを知っておくことも、これからの「戦争と平和」を考えていくとき、欠かせない視点である。戦争が人間の歴史とともにあったのも事実ながら、同時に、戦争を非合法化し、核兵器の廃絶を訴え、各国の軍備廃止にむけた真剣な努力もまた、目立たないとはいえ、ずっと継続されてきた。例えば、「ひとつのヨーロッパ」を目指すCSCE(全欧安保協カ条約)(註@)とCFE(ヨーロッパ通常戦力削減条約)(註A)に、その希望実現への足取りを読み取ることができる。又、国連による集団安全保障の考えも、核兵器全廃と各国の軍備廃絶がなされて初めて成り立つものであることはいうまでもない。

 以上のような問題意識を持って、まず「戦争の歴史」を簡単に振り返り、そのうえで「何故、戦争は起きるのか」という問いに対する自説を主張し、生意気とは思ったが北朝鮮に対する「べき論」を、評論家風に展開させてもらった。

(2)戦争の歴史
 歴史の父と呼ばれるヘロドトス(註B)の『歴史』は、旨頭から戦争が登場している。「ペルシャの識者は、フェニキア人がその争いの発頭人だったといっている…その時のフェニキア人は互いに励まし合ったかと思うと、彼等に襲いかかったものである」

 ギリシャとペルシャの戦いが語られており、今風にいうと「西欧対中東」の戦争が主題になっている。

 さらに、中国最初の通史、司馬遷(註C)の『史記』にも古代中国の戦争が数多く描かれている。

 又、『史記』成立とほぼ同じ時代に、ローマの戦闘報告書としての特徴をもった、カエサル(シーザー)の『ガリア戦記』(註D)があげられる。ガリア戦記にも「ルビコン川を渡る」や「来た、見た、勝った」など今に語りつがれる名文が存在する。当然のことながら全編戦いの記録で埋められているが、そのなかにはローマにとっての蛮族ゲルマン人に関して、次のような記述がなされている。

「いつでもお目にかかろう。14年間も屋根の下に入ったことのない、戦争にもまれた不屈のゲルマーニ人の武勇を思い知るがよい」

 『ガリア戦記』時代のカエサルはゲルマン討伐のローマ指揮官であった。このように戦争はごく日常の光景であるばかりでなく、生活そのものといえた。つまり、古代にあっては戦争は通常の社会現象として存在していたのである。今日あるような国家や国境が成立せず、国際法もなかった時代、当然頼りになるのはただ武力のみだった。

(3)経済学的要因からみる戦争の出現
 当然のことながら、戦争が生産手段や所有制度の発達と密接に関連しあっていることは容易に想像がつくはずである。

 例えば旧石器時代のように、人類が狩りや採集によって生活していた頃、戦争はなかなか起こりえなかったことであろう。もちろん暴力沙汰はあったし、他の部族との間で狩り場や獲物争いくらいは起こったかもしれない。しかし、その程度の現象を戦争と呼ぶわけにはいかない。それらはせいぜい、個人もしくは小さな集団同士の小競り合いか略奪行動、報復といった類いである。何故なら、当時のわずかな生産能力や備蓄能力からして、大勢の人間が関わる戦争など起こせるはずもないからだ。そのことから考えると、原始共産制社会にとって、戦争はまだ「ぜいたくな行為」といえる。フランスの社会学者ロジェ・カイヨワ(註E)は戦争を定義して、「戦争は集団的、意図的かつ組織的な一つの闘争である」として、さらに単なる武力闘争とは違い、「破壊のための組織的企て」と述べている。この点が彼の言う戦争の本質であり、そこでは軍隊という集団、指揮者の意志、勝つための方法・戦術という組織運用の原則が不可欠になってくるわけである。とすれば、人類文明が狩猟、採集農業の域を脱して定住・農耕に移行して以後になってはじめて、今日考えられる戦争の歴史が始まったといえるのではないだろうか。さらに、『人類と機械の歴史』を書いたサミュエル・リリー(註F)は、このことに関して次のように指摘している。

 「容易に分かるように、(旧石器時代の)技術水準では、(原始共産制)以外の社会形態は不可能だった。狩猟人と植物採集人は、せいいっぱい働いても、生きてゆけるだけの食糧とその他の必需品を生産することしかできない。だれかが他人の労働で生活することを可能にするような剰余は残らない。部族全体が自然に対するきびしい闘争で不敗の前線を維持せねばならず、内輪争いはこの闘争における敗北と死を意味する。(その理由から)戦争は農業の出現までは稀にしか全く起こらなかった。なぜなら、人々は戦争している間は狩猟をすることができず、狩猟を中止すれば、こういう低い生活条件のもとでは生き残れないからである」

 以上から、原始共産制社会における生産能力や備蓄能力では、戦争という、状態を起こすことができないことが判明した。しかし、サミュエル・リリー氏が指摘するように、定住農耕が出現するに及んで事情は一変するわけである。狩猟から耕作ヘ、移動から定着への変化は革命的なものであった。富の差が生まれ、階級へと分化し、やがて国家をつくりだすようになる。そうなるとその社会の仕組みは、もう「手から口ヘ」の、その日暮らしの経済ではなくなるわけである。戦士を養う食糧、武器を供給する技術力も生まれ、さらに戦争の目的も出てくる。例えば、川のそばの水利条件のよい土地を確保すること、捕虜をとって農作業に使役すること、属国に食糧を貢納させることなどがあげられる。

 やがて、戦いに勝利するようになれば、「戦争は引き合うもの」として、考えられるようになり、そうした状態を野心に満ちた権力者が放っておくはずもなかった。こうして戦争は、古代国家を成り立たせ、かつ強固に発展させていく大きな原動力にのしあがっていったわけである。

 さらに権力者は、戦争を自分のために利用し、みずからの権力をさらに強化するとともに、国家の統制力や強制力も強めていったのである。

(4)生物学的要因からみる戦争の出現
 (3)では、経済学的な要因から戦争が起こるメカニズムを検証してみた。次に、生物学的な要因から戦争が起こるメカニズムを検証してみることにする。生物学の領域から考察すると、「戦争は種内淘汰(種内攻撃)」とみてとれる。いわば同族間の殺し合いとして、生物学的には判断できるわけである。もちろん群れ(家族・部族)の防衛という種を保つ本能が、人間にも備わっていることはいうまでもないことだ。他の動物と激しい生存競争をなしつつ、人類は生き延びてきており、その意味では攻撃本能や闘争本能は人間とは切り離せない存在である。しかし、戦争という人間行動は少し様相が違う。何故なら、外界からの攻撃に備えるのではなく、完全に種の内部だけで行われる人間の行動様式だからである。例えば、ブッシュ元アメリカ大統領がライオンに宣戦布告をしたことなど聞いたことがない。彼は同種のフセイン大統領とその国民を攻撃したわけである。戦争はもっぱら種内攻撃という、同じ仲間のライバルを押し退ける道具として用いられてきた。そして近年、道具はその規模と激しさを増し、ついには種の絶滅が可能なところまできてしまったのである。これはある意味では、矛盾をおびた「破滅にいたる進化」といえるかもしれない。では、一体人類はどうしてこのような「悪い淘汰」に身を委ねてしまったのであろうか。

 動物行動学者のコンラート・ローレンツ(註G)はその著『攻撃』の中で、次のように説明している。

 「特に人間が、種内淘汰の悪い作用に身をゆだねているのには、はっきりした理由がある。人間は他の生物とは比べものにならないほど、周囲の自分以外の敵対勢力をすべて支配するに至った。クマとオオカミを人間は根こそぎにし、人間が人間にとってオオカミである、というラテン語のことわざが事実となったのだ」

 まさしく戦争とは、「人間が人間にとってオオカミである」ことの証明にほかならなかった。道具を使い、自然に働きかける技術を手に入れた人類は、自分がもう他の動物の餌食にならなくてすむとわかったとたん、その道貝と技術、つまり攻撃力を種内に持ち込んだのである。

 さらに、ローレンツ氏は、この観点から人間の攻撃本能が種内攻撃に向かっていく過程を心理的側面から解明している。

 「わたしたち人間の骨の髄まで、今日なお悪しき遺産となってしみ渡っているところの攻撃衝動が、数万年の間、つまり石器時代前期の間中、わたしたちの祖先に影響を及ぼし続けた淘汰の過程を通して、破滅ぎりぎりのところまで来てしまったのは、おそらく確かだということである。人間が武器で身を固め、衣服をまとい、社会を組織することによって、外から人間を脅かす飢えや、寒さや、大きな捕食獣に捕まるという危険をどうやら取り払い、その結果、これらの危険がもはや人間を淘汰する重要な要因とはならなくなったとき、まさにそのときに、種の内部に悪しき淘汰が現れてきたに違いない。こうなると、淘汰の腕を振うのは、敵対するとなり合わせの人間同士がする戦争ということになる」

 人類が、現代につながる文明の基礎を築き始めたその同じ時期に、経済と心理の両面に「戦争という悪魔」が潜むようになったという、歴史家と生物学者の指摘は実に的確である。何故、戦争は起きるのか、おぼろげながらその輪郭が判明してきた。以下で、「生存が確保されれば戦争は起きない」という仮説をもとに、「何故、戦争は起きるのか」という問いに答えていきたい。

(5)何故、戦争は起きるのか
 人類の歴史は、「戦争の歴史」と言い換えても過言ではない。何故、人類は戦争をするのか。その答えは大変難しい。哲学上の難問である。経済学的理由(持てるものと持たざるものの必然的対立説)から、生物学的理由(闘争本能説)や社会学的理由(群れの宿命説)などと、いくつもの理由が考えられる。たしかにそれらが錯綜し、複合しあっているに違いないが、基本的には、戦争は常に生存していくために必要な食糧や資源を巡っての争いだということができる。逆の言い方をすれば、生存していくための食糧や資源が満たされている場合には、人間は、集団で殺し合うことはないはずである。つまり、生存が確保されれば戦争は起きないという仮説を主張したい。サルとかライオンなどの動物も、食糧が満たされているときには、群れ同土でうまく棲み分けをして、メスを巡って個と個が争うことはあっても、集団と集団で争うことはしなかったはずである。おそらく人類も、サルから分かれてヒトとして発生した当初の頃は、人口そのものが少なかったので、うまく棲み分けをして、食糧を巡って争うことはなかったのではないだろうか。他の動物とは、襲われることがあるので争うことがあっても、人間同士では戦わなくて済んだかと考えられる。人間同士が戦うようになったのは、特定の地域内で、人口が生産力を上回って増えるようになったからと推測できる。そもそも人口は、生産を上回って増える傾向がある。何故なら、一人の女性は10人前後の子供を出産する能力を持っているが、それに対して、生産力のほうはそれほど伸びないからである。それに生産力が飛躍的に増加したのは、鉄器の発明とか農業革命、産業革命など、歴史上、数回しか存在しない。

 昔は病死や飢餓が多かったから、それで人口が調整されたが、それでも基本的には生産力を上回って人口が増え続けたので、人類は常に生存の危機に脅かされたきたわけである。そこで起こったのが、戦争という手段によって相手を滅ぽし、土地や資源を奪って自分たちの生存を確保するという調整方法である。

 戦争に勝つための方法は、二つある。集団を大きくすることと武力を高めることである。

 集団の基本単位は家族、血族だが、それだけでは戦いの単位としては弱い。そこで当初は比較的強い血族が他の血族と戦って、彼らを支配下におき、領地や生産手段を奪って自らの生存を守ったのである。こうして集団の単位が血族から部族、民族、国家というように次第に大きくなっていき、それに応じて戦争の規模も大きくなってきたわけである。しかし、勝つために集団を大きくしていくという集団化の論理には、一方で矛盾も含まれている。集団というのは、大きくなればなるほど、集団内部の共通性が希薄になっていって、団結力が弱くなる傾向があるからである。そこで、集団の結束を強めるために、アイデンティティをつくる必要が生じてくる。その際、決定的な役割を果たしたのが、民族と宗教であった。

 民族というのは基本的に血が同じだし、しきたりや言語も共通しているのが、普通だから、アイデンティティが得られやすい。宗教も同じ神を信じている点で精神的な統一力が強いから、集団のアイデンティティとしてこれほど強力なものはない。人類の歴史の中で、民族や宗教を単位とする戦争が多かったのは、こうした理由からである。

 ただ、ここで一つ断っておきたいのは、民族や宗教それ自体は、戦争の根本的原因ではないということである。その証拠に、アメリカは多民族、多宗教国家だが、国内で民族や宗教による戦争をしているわけではない。ロシアもまたしかりである。そもそも宗教というのは、死に対する恐れを癒し、人間の心の不安を救うために生まれたもので、本来的には戦争とは関係がない。むしろ、戦争とは対極に位置するものである。にもかかわらず、現象的には宗教の違いによる戦争が多いのは、宗教が集団の団結力を強め、他宗教を排除する性格が強いために、政治や戦争に利用されやすいからだ。民族にしても、それ自体は戦争の根本的な原因ではないが、アイデンティティが得られやすいために、生存が脅かされた時に集まる単位になりやすいということなのである。いずれにしても、大きな流れでいえば、人類は個の生存を確保するために、次第に集団を大きくしてきた。その集団の動きがピークに達したのが、第二次世界大戦の頃である。これを境に、人類の戦争の歴史に大きな変化が現れてくる。

 一つは、先進国で人口が減少しだしたことである。

 先進諸国では、産業革命によって生産力を飛躍的に増大させると同時に、一方では産児制限によって人口調整をするようになった。その結果、生産力が人口増加を上回るようになったので、生存のために戦うという戦争の動機そのものをなくしたわけである。

 先進国のもう一つの大きな特徴は、個人主義、自由主義の発達によって、従来の集団の理論にかわって、個の論理が重視されるようになってきたことである。

 それらの結果として、先進国の中で文化水準が近い国々は、国境というお互いの集団としての垣根の高さを、次第に低くする方向に進んでいる。例えば、、アメリカ、カナダ、メキシコなどに代表されるNAFTA(北米自由貿易協定)などがその好例である。国境という垣根を低くすることによって、ヒト、モノ、カネの行き来をより自由にしようとしているわけである。ところが一方には、産児制限が行き渡っていない国々がたくさんある。これらの国々では、自国の生産力もまだ上がっていなくて、生産力を上回って人口が増えている。昔なら、人口が増えても、病気や餓死などで自然に人口調整がなされた。しかし今は人道上の理由から、先進国が医薬品や食糧などの援助を行っているために、人口が昔以上の勢いで増えるようになっている。したがって、これらの国々では、生存を守るために戦うという戦争の動機は、従来以上に大きくなっているといえる。第二次世界大戦以降、世界各地で局地紛争が起きているのは、そのためである。ただし、これらの国々は、強力な武器をそれほどには持っていない。強い武器を持っているのは、先進国のほうである。その先進国の方が戦争で領地を拡大する動機を失っているので、局地紛争は起きても、それが拡大して第三次世界大戦といった大きな戦争に発展する恐れはほとんどない。

(6)経済制裁で北朝鮮を追い詰めてはいけない
 さて以上の観点から、生意気かもしれないが北朝鮮問題に触れてみることにする。

 朝鮮民主主義人民共和国(以下で「北朝鮮」と称す)は、昔ながらの戦争の動機というものを持っている国である。国際的に孤立しているだけでなく、経済的にも行き詰まり、食糧不足も伝えられている。状況的には、経済支配領域を広げたいところである。それに対して、アメリカ、日本、韓国などの方には、自ら戦争をする動機がない。

 つまり、自分たちの生存を確保するためという戦争の動機となる事情があるのは、北朝鮮側なのである。しかし、その北朝鮮にしても、いくら戦争の動機はあっても武力ではアメリカをはじめとする各国のそれにはかなわないということを知っているはずだから、自ら戦争を仕掛けるなどという自殺行為は、常識的に考えればするはずがない。金日成が死去して抑えがきかなくなり暴発する恐れがないかといわれたりしているが、万一内部権力闘争が起こったとしても、それは内部体制変更のための武力行使の範囲にとどまり、挙国一致して戦争に及ぶ方向に進むことは考えにくい。仮に北朝鮮が、自ら先制攻撃を仕掛けることが自殺行為だとわかったうえでなお、そういう選択をすることがあるとすれば、それは食糧不足などに対する国民の不満が高まって、その国民の不満をそらすためには、戦争に打って出る以外にないというところまで、政権が追い詰められた時であろう。したがって、北朝鮮に先制攻撃を仕掛けさせないためにもっとも重要なことは、北朝鮮をこれ以上追い詰めないことである。その意味では、経済制裁はますます北朝鮮を追い詰める以外のなにものでもない。この問題を解決するためになされるべきは、経済制裁よりもむしろ、経済援助なのである。経済援助によって北朝鮮国内の経済的状況がいい方向に向かえば、国民の不満も緩和されるから、北朝鮮当局が自ら戦争を仕掛ける必要はなくなる。次にするべきことは、北朝鮮の国民に世界の情報を伝えることである。北朝鮮が自ら戦争を仕掛ける可能性があるとしたら、前述したように、それは国民の不満をそらしてごまかすためだから、国民が当局によってごまかされないように、世界のどの国も北朝鮮を攻撃する意思は持っていないし、むしろ世界は平和を望んでいるということを、彼らに知らせるのである。

 例えば、ソ連・東欧が崩壊した要因の一つに、東側の国民がテレビやラジオなどによって西側の状況を知っていたことがあげられる。西側の方が自由で豊かだということを知っていたからこそ、当局が体制を守るべくいくらウソをいっても、国民はだまされることなく自由化、民主化を求めたので、ソ連・東欧の共産主義体制は崩壊したのである。北朝鮮の場合、ソ連・東欧と違って、当局が電波管理をしているといわれるので、北朝鮮の国民に世界の情報を伝えるのは容易なことではないと考えられるが、さまざまな機会を通じて知らせる努力をする必要がある。外部からの情報によって、世界は平和を望んでいること、韓国は非常に豊かであることを北朝鮮の国民が知れば、当局が戦争によって国民の不満をそらそうとしても、国民がそれに踊らされることはなくなるはずである。そういう観点からすれば、在日の北朝鮮の方々に北朝鮮をどんどん訪問してもらうことは大切である。

 肝心なことは、北朝鮮当局に戦争を始めるための口実を与えないことである。経済制裁は、北朝鮮当局にとって格好の口実になりかねない。国内の経済的行き詰まりの原因を、「各国の不当な経済制裁のせいだ」といって、責任転嫁できるからである。ましてや海上封鎖などをすれば、国民の憤激をあおり立て暴挙に走らせる教唆行為となるであろう。

 全くの仮定として、北朝鮮が核を持っていたとしても、それはないに等しいくらいに考えてよいであろう。というのは、たとえ戦争状態になったとしても、核兵器はあとのことを考えればまず使うことはできない。

 第二次世界大戦以降に起きた湾岸戦争にしろ、ほかの戦争にしろ、核保有国が参戦していても、核兵器を使用していないのがその証拠である。核兵器は、これをも持っていることによる威嚇力によって相手の攻撃を抑止すること、その他の効果を生じるところに実際的な意味があるが、北朝鮮はその意味でも核兵器を使えない。何故なら、核兵器の保有を否定しており、又国際的関係を保つためには否定せざるを得ないからである。

 一般的に、政治の世界では、強硬派の方が人気が得られるという傾向があるが、話し合い路線を続けてほしいものである。マントをぬがすには、北風を送るよりは暖かい日光を送るほうが有効なのである。日本でも、有事体制ができていないことを危惧する人たちを中心に、北朝鮮が攻めてくることを前提にした議論が行われたりしているが、中国のようにもっと大人の対応をするべきである。つまり、北朝鮮の権力者たちの動向ばかりにとらわれないで、北朝鮮の市民レベルで対応策を考えるべきである。そういう対応をしていれば、北朝鮮の政治は、ルーマニア型か東ドイツ型かソ連型か中国型かはわからないが、必ず北朝鮮市民をより自由にする方向に変わっていくだろう。

(7)むすび
 物事の考え方が根本からくつがえされていくさまを称して、コペルニクス的転換という。中世の天文学者コペルニクスによって確立された地動説が、それまでの地球中心の世界認識をガラリと変えてしまったことから生まれたたとえである。ガリレオの「それでも地球は回っている」や、ダーウィンの唱えた進化論、さらに原子力の開発などは科学史における「コペルニクス的転換]であった。又、日本の歴史でみても、黒船の衝撃によって鎖国体制が崩壊し開国へといたる幕末の動きは、まさにコペルニクス的転換そのものといえる。冷戦終結もまた、20世紀における「情勢のコペルニクス的転換」の一つといえる。東西対立の終了、そして社会主義国家・ソ連の崩壊を境にして世界像、国際社会の在り方は根本的に変貌するに至った。まさに、「冷戦後」という区切りは、第一次世界大戦、第二次世界大戦に続く大きな「世替わり」であることに違いない。

 ならば我々は、この大きな歴史の転換期にあたり、ただ漫然と傍観したり見過ごしてしまうのではなく、積極的に人類の歴史をよい方向に導いていく責任があるのではないだろうか。例えば、第一次世界大戦の後、国際連盟ができ、戦争なき国際社会を目指したが、その前途は世界恐慌のなかから生まれたファシズムによってくつがえされ、より大きな戦争の渦に世界を巻き込むことになった。又、第二次世界大戦の後、今度こそはと発足した国際連合にしても、核と冷戦のおかげでその目的を果たすことが長い間できなかった。その結果、20世紀は二つの世界大戦と冷戦によって記憶される時代になった。

 もし、冷戦後の世界を、過去二度のチャンスと同じようにつぶしてしまうとしたら、我々は歴史からなにも学んでいないばかりでなく、アインシュタインが警告したように、「種の絶滅」に至るかもしれない。何故なら、そのための「自殺装置」はすでに有り余るほど存在しているのだ。そう考えると、古い戦争観から脱却する、文字通り最後の機会に人類が直面しているのではないだろうか。



@ CSCE条約と略称される。1975年7月30日、へルシンキで、アルバニアを除く全欧州諸国に米国、カナダを加えた35カ国の首脳が参加して、東西欧州間の緊張緩和と相互の安全保障のための協力関係樹立を目指した全欧安保協力会議(へルシンキ会議)が開かれた。最終文書であるヘルシンキ宣言は、@全欧州の安全保障、A経済・科学・技術分野の協力、B人権問題の三つを課題とすることを宣言している。尚、全欧安保の諸会議には、日本も議決権を持たない特別ゲスト国として招待されている。
A CFE条約と略称される。NATOとWTOの二つの軍事ブロック間で1990年11月結ばれた軍縮条約。スイス、スウェーデンなど中立国以外の全ヨーロッパ諸国が参加した。加盟国は、地上軍、空軍、地上配備の海軍部隊など通常戦力の地上要因の削減と兵力上限設定を受け入れ、情報提供、査察の実施、領空開放などに従う義務を負う。
 この条約によって、アメリカ、カナダ軍の在欧戦力が削減、撤収されることになった。(以上、@とAは『知恵蔵’97』より抜枠)
B 古代ギリシャ最大の歴史家。「歴史の父」といわれる。大旅行家でもあり、自らの見聞をもとにまとめ上げた『歴史』で、アテネとスパルタの戦いや、ギリシャとペルシャの対決を豊かなエピソードとともに物語った。
C へロドトスに比肩する歴史家代表。『史記』は彼の代表作。春秋戦国時代の中国史を初めて通史として記録した。帝王の業績を語る「本紀」、諸王「世家」、個人の「列伝」など五つの区分により壮大な歴史世界を構築した。
D カエサル(紀元前102頃〜紀元前44)率いるローマ軍のガリア(今のフランス)遠征の記録。現地から彼が送る戦闘の記録は、ローマ全市を熱狂のるつぼと化したという。7年にわたる戦闘を描いた書物こそ、文筆家カエサルの名を不朽にし、モンテーニュをして「最も明晰な、最も雄弁な、最も真摯な歴史家」と称賛せしめたものである。(以上、B〜Eは岩波文庫『ガリア戦記』の解説より抜粋)
E 現代フランスの社会学者。『遊びと人間』の著者でもある。『戦争論』は国際平和文化賞を受けた。(R.カイョワ著/秋枝茂夫 訳『戦争論』法政大学出版局より抜粋)
F 現代イギリスの科学史家。科学の歴史と社会の進歩の関連についての書物で知られる。(岩波書店『人類と機械の歴史』より抜粋)
G オーストリアの動物学者。動物行動学の確立者でノーベル生理学医学賞を受けた。『ソロモンの指輪』『攻撃』などの著作が特に有名。


「第U章」での引用文献・参考文献
・有賀貞 編『講座国際政治@国際政治の理論』
(東京大学出版会,1989年)
・小此木政夫「金正日体制、経済開放が鍵」『日本経済新聞』
(日本経済新聞社,1997年)10月31日(31面)
・猪口邦子「国力とは何か」『科学技術ジャーナル1997年8月号』
(科学技術広報財団,1997年)7ページ
・猪口邦子『戦争と平和』(東京大学出版会,1989年)
・入江昭『20世紀の戦争と平和』(東京大学出版会,1986年)
・大高利夫『中国人名事典〜古代から現代まで〜』
(日本アソシエーツ,1993年)246ページ
・大高利夫『読書案内・伝記編 世界の偉人』
(日本アソシエーツ,1996年)58〜59ページ
・佐伯彰一「20世紀最大のナゾ〜米ソ冷戦を終わらせたもの〜」
『産経新間朝刊−6面』(産経新聞,1997年12月30日6面)
・西部邁『戦争論〜絶対平和主義批判〜』(日本文芸社,1991年)
・日高敏隆『ソロモンの指輪〜動物行動学入門〜(改訂版)』
(早川書房,1975年)
・藤縄謙三『歴史の父ヘロドトス』(新潮社,1968年)
・堀田力『学問はどこまでわかっていないのか』
(エモーチオ21,1996年)252〜260ページ
・前田哲男『戦争と平和〜戦争放棄と常備軍廃止への道〜』
(ほるぷ出版,1993年)12〜47ページ
・森田昌幸「社会主義崩壊の原因」『法学研究一第69巻第4号』
(慶應義塾大悪報学研究会,1996年)
・森田昌幸『ソ連東欧紀行』(犀書房,1992年)
・吉川純『戦争と平和』(岩波書店,1993年)
・D.バウダー/訳者 豊田和二,新井桂子,長谷川岳男,今井正浩
『古代ギリシャ人名事典』(原書房,1994年)353〜355ページ
・カエサル 著/近山金次 訳『ガリア戦記』(岩波文庫,1991年)


4.第V章:何故、男は女を愛し、女は男を愛するのか(大脳生理学)

(1)はじめに
 世の中、わからないことだらけである。例えば、これから本章で扱うテーマもそんな一つである。

 何故、男は女を愛し、女は男を愛するのか、その科学的な仕組みがわからない。それがわからないから、どんな家庭の在り方が人間にもっとも適しているのかがわからない。だから、子育てのありかたもわからないし、親を家庭で介護することが現代人の生き方としてよいのかどうかもわからない。そうして、わからないことだらけだから、それぞれの分野の専門書に手を出してみると、なんでもわかっているような書き方がしてあるのに、実はやたらに難しい言葉を使っているだけで、なにをいっているのか、よくわからないことが多い。ついでに言わしてもらえれば、本当にわかって書いてあるのかどうかすら疑わしい専門書も少なくない。

 以下で、上記の問いを考察していくことにする。

(2)男が女を愛し、女が男を愛する理由
 男は女を、女は男を求め、恋愛をしたり、結婚をしたりする。では、何故、男と女はお互いにひかれあうのだろうか。人間は何故、恋をするのであろうか。それは、根本的には動物のオスとメスが互いにひかれあう状態と同じである。

 例えば動物の場合、自分がオスだメスだなんて自覚しているわけではない。ただ、自分自身の中からにじみ出てくるものが異性を求め、生殖しようとするわけである。人間の場合、脳が大きくなって言語能力が発達したから、自分を男だ、女だと意識できる。そのため、異性を求め恋するだけでなく、その欲求を修飾するような脳のはたらきがある。それが、恋を愛にまで高めるわけである。例えば、好きな人に冷たくされて、「どうして冷たくされるんだろう」と思い悩んだり、「あの人は私のことがやはり嫌いなのだろうか」と心にさざ波が立つのも、すべて人間ならではの高等な脳のはたらきである。さて、サルは恋しかしない。恋をして、そして相手に受け入れられれば生殖をする。受け入れられなければ、それでおしまいである。そのため生殖機能がなくなったメスはオスにそっぽを向かれてしまい、あとは一人で寂しく死んでいくのである。つまり、サルには恋を愛にまで高めて、老いを異性と暮らそうという衝動は起こらないわけである。一方、人間は恋を愛にまで昇華できる。愛というのは、人類が霊長類から進化する過程で新しくできた脳、大脳皮質でつくられる幻想、つまり人間ならではの文化といえる。例えば、愛した異性がそばにいるだけで胸がいっぱいになったり、安らぎを感じたりする場合である。これなどは、全て脳がそうさせているわけである。以下で、そのメカニズムを簡単にふれておく。人間の脳は大きくわけると大脳と小脳の二つがあり、大脳が全体の75%を占めている。その大脳も大きく二つにわけられる。一つは、動物の時代からあった部分。もう一つは、人間に進化する過程で急激に大きくなった部分である。前者のことを、「大脳辺縁系」という。これは、人間の本能的な運動や行動を統括する脳で、「動物の脳」と呼ばれている。後者は、「大脳新皮質」といい、人間の高度な精神作用をつくる「人間の脳」とも呼ばれている。

 さて恋をして、からだにさまざまな反応を起こさせるその命令の発信源は、大脳新皮質(人間の脳)の中に存在する。その場所は、ちょうど頭の前の部分、おでこのあたりに位置している。人間の高度な精神作用をつくりだす最上位の部分で、とくに前頭連合野と呼ばれている。特定の異性を「好き」だと思うおおもとの判断は、この前頭連合野が下している。目に映った相手の姿、耳に聞こえてきた声、そして嗅覚に訴えるニオイなど、五感に訴えてきた情報を根拠にして判断するわけである。例えば、「彼(彼女)は優しくてステキ!」という判断も、この前頭連合野の部分で行っている。さらに次の段階として、前頭連合野から大脳辺縁系(動物の脳)の中にある性欲をつかさどる部分、つまり性欲中枢に命令が伝達きれる。その性欲中枢のすぐそばには、ホルモンの指令センターともいうべき「視床下部」があり、ここに命令が伝わってくる。視床下部は脳のちょうど中心にある、アサガオ形をした一辺一センチほどのちっぽけな神経組織である。この小さな脳が性欲や食欲などの、人間を人間たらしめている欲求をつくりだす根源の脳なのである。こうして視床下部に命令が伝わると、ただちにホルモンが分泌され、その働きにより交感神経が刺激され、血管の収縮運動が起きて、胸がドキドキと高鳴ったり、からだをほてらせたり、血圧が急激に上がったりするわけである。ちなみにホルモンとは、「刺激する」(ホルマオ)という意味から名づけられた言葉である。ホルモンは体内のさまざまな場所でつくられ、直接血液などの体液の中に分泌され、体内の離れた場所へ指令を伝達するはたらきをしている。以上のことから、男が女を愛し、女が男を愛する原因が脳に秘められていることが理解できた。さて次に、人間にとって理想の家庭とはどういうものであろうか。これについては、「男と女の関係を決める要素はどういうものか」を探ることによって判明してくる。故に以下で、男と女の関係を決める要素とはどういうものかについて考察していくことにする。

(3)男と女の関係を決める要素はなにか
 果たして、人間における理想の家庭(子育てや両親の世話なども含む)とはどういうものであろうか。この問題を考える視点として、「男と女の関係を決める要素とはどういうものか」をあげてみたい。すくなくともこの視点から考えることによって、理想の家庭とはどういうものなのかがわかってくる。動物でも人間でも、オスとメス、男と女の関係には、次の二つの法則があげられる。一つは、力の強いほうが勝つ。もう一つは、貢献度の大きいほうが勝つという法則である。例えば、オスとメスのどちらのほうが強いかをみると、哺乳類の大多数は、オスのほうが大きくて強い。馬などは例外で、オスとメスの力の差があまりない。鳥類もオスとメスの差があまりないほうである。動物の中で、メスのほうが強いというのは極めて例外的で、一部の昆虫などにみられる。このように動物の種類によって、オスとメスの力の差があったりなかったりするわけだが、これは何故なのであろうか。これは、オスとメスの力の差のあるなしは、夫婦関係の形態に関係しているように考えられる。例えば、一般的にオスのほうが強い哺乳類の場合、97%は一夫多妻制である。オットセイなどは、一匹の強いオスが何十頭ものメスを抱えている。ライオンで数匹である。それに対して、オスとメスの差があまりない鳥類の場合は、90%が一夫一妻制である。こうみると、オスのほうが強い場合は一夫多妻となり、力の差があまりない場合は一夫一妻になっていることがわかる。

 さて、人間ではどうであろうか。人間の場合、全人類でみると、一夫多妻も少なくないが、先進諸国ではおおかた一夫一妻制である。他の哺乳類と比べると、男と女の力の差があまりないせいか、例外的に一夫一妻の割合が多い。それでは、一夫多妻と一夫一妻という、夫婦の形態の違いは、どこから生じてくるのであろうか。一夫多妻の場合からみていくと、オスはもともと子孫を多く残すために、たくさんのメスと交尾したがるという特性を備えている。メスの特性は、強い子孫を残すという種保存の本能が強いことである。その結果、メスはどうしてもより強いオスを求めるから、特定の強いオスは一夫多妻になる。一夫多妻では、オスは子どもの面倒をみない。いや、正確に言えば、オスは子どもの面倒をみきれなかった。したがって、メスは自分一人で子育てをしなければならない。それでもいいとメスが思っているのは、子育てにオスを参加させるよりも、強い子孫を残すことを優先しているためである。一方一夫一妻の場合、メスの立場からすると、強い子孫を残す点では十分ではない。そのかわり、オスを子育てに参加させられるというメリットがある。したがって、子育てが難しい動物の場合は、一夫一妻になる。鳥類が一夫一妻で、オスでも卵や雛を抱いている種類があるのは、子育ての期間が長く、それだけ外敵に襲われる危険があって、大変だからである。だが、この一夫一妻は何故、成り立つのであろうか。動物行動学者の日高敏隆はその著『動物たちの戦略〜現代動物行動学入門〜』で、次のように説明している。「オスとメスでは、オスの方が性衝動が強い。交尾しないでいることに我慢ができない。メスは交尾をしなくても我慢していられる。メスが、その我慢さを発揮して、オスに交尾させる前にいろいろなものを前払いさせることによって、一夫一妻は成り立つ。具体的にいえば、交尾を求めるオスに対して、メスは簡単に交尾を許さない。どうしても交尾をしたいオスは、メスに気に入ってもらうために、せっせとエサを運んだり、巣を作ったりする。つまり、一生懸命前払いするわけである。それでメスに気に入ってもらえて初めて、交尾ができる。メスは一度交尾を許すと、継続的に交尾を許す。そのかわりに、オスにも子育てに参加することを要求する。その時になって、オスが『そんなことはいやだ。他のメスと交尾したい』と思っても、他のメスと交尾するためには、また大変な苦労をして前払いしなければならないから、結局はあきらめる」こうして一夫一妻が成り立つわけである。例えば、日本の結納制度なども、この前払いの一種であろう。もっとも同じ一夫一妻でも、その中身は現実には、非常に厳密なものから緩やかなものまでいろいろある。例えば、鳥類でいえば、ツルは夫婦の絆がとても強くて、厳密な一夫一妻である。仲がいい夫婦の形容に使われるオシドリは、意外にも、それほど厳密な一夫一妻ではなく、季節的なもののようである。日高氏の報告によれば、一夫一妻である白サギやカラスのオスを去勢して実験してみたところ、つがいのメスが産んだ卵の3割から4割は有精卵だったという。つまり、メスの3、4割はつがいのオス以外と交尾(つがい外交尾)をしていたことになる。さらに、つがい外交尾研究の第一人者である、行動生態学者のアンドルー・コーバンによれば、つがい外交尾の世界記録を持つルリオーストラリアムシクイという鳥類の場合、なんと75%のヒナがつがい外交尾で生まれたという。つまり、多くのメスが夫以外のオスを受け入れていたことになる。さて、一夫多妻か一夫一妻かという観点のほかに、母系社会か父系社会かという見方から、動物や人間をみることもできる。この見方からいうと、平塚らいてうが、「元始、女性は太陽だった」と述べているように、人類は本来は母系社会だった。

 太古の昔は、男は狩り女は農耕という違いはあるにしても、ともに対等に働き家族に対する経済的貢献度が同じだったから、女にしか子供は産めず、親子関係の証明母と子の場合は明らかであるという事情が生きて、母系社会となった。母系社会では、女性は何人かの男性と関係を持つこともできるし、男性を選ぶ選択権は女性にある。どの男性の子どもを産むかも女性が決める。そして生まれた子どもは、女性が育てる。家族は女性を中心にして成立していた。

 例えば、万葉集など源氏物語以前の記録には、日本も平安時代の中頃までは母系社会だったことがわかる。通い婚、妻問い婚といって、男性が女性のもとにせっせと通い、時には女性に拒否されたりする様子が描かれている。もちろん子どもは、女性の家で育てられている。又、チベットの山奥には、今でも母系社会が残っているところがある。周囲を湖に囲まれた場所で農耕生活を営み、女性は人によっては何人かの男性と関係をもっている。そのため、男性は女性のもとに通うわけである。

 こうした母系社会では男性は極めて不安定な状態におかれる。相手の女性がいつ他の男性に心が移るかわからないし、女性に子どもが生まれた場合でもそれが自分の子どもかどうかもわからない。そこで男性が自らの父性の証明をしようと思ったら、相手の女性を家に閉じ込めておいて、浮気のチャンスがないように女性を支配するしかない。しかし、女性が男性と対等の経済力を持っている状況では、男性はそうしたくてもできなかった。

 母系社会から父系社会への移行が起きたのは、狩りや農耕といった生産手段を超えて人口が増えるようになるにつれて、食べていくため人間同士による殺し合いが起きるようになったからである。戦いになると、力の強いほうが勝つ。力の強さはやはり男のほうが上である。その男が戦わないと、女も殺されるか奴隷にされる恐れがあった。そこで、女としては男を立てて、従ったわけである。それが男女や家族の関係にも反映して、男中心の父系社会になったと考えられる。さらに、人間同士の戦争の時代は長く続き、第二次世界大戦後も世界の至るところで民族や宗教による紛争が起きているが、一般的に発展途上国ほど父系社会の原理がはたらき、先進国ほど父系社会の原理である力の法則や貢献度の法則は空洞化してしまう。

 例えば、発展途上国では、生産力がいまだ十分発達していないにもかかわらず、産児制限をしていないために子どもがたくさん産まれてくる。そこで、食べていくためには他の民族や国家と戦って勝たなければならない。そのため、力の強さが求められて父系社会になる。それに対して先進国では、産児制限をして子どもをあまりつくらなかった。その結果、人口が生産力を超えることがなくなったので、自ら戦争を仕掛ける必要がなくなった。戦争がなければ、男の力の法則は重要でなくなる。又、貢献度にしても、産児制限の結果子育てが楽になり、女性が社会進出して経済力をつけてきたため、男の経済的貢献にせまってきた。

 例えば、スウェーデンやデンマークのような福祉先進国になると、国が子育てに参加してくるのでその傾向は一層強くなる。女性は男性と同等に働けるので、経済的貢献度は男女同等になる。そして、子どもを産むという貢献は女性にしかできない。そうなると、貢献度ではトータルで女性が上になり、もう一つの力が強いほうが勝つという法則が働かない社会になると、その社会では当然女性優位の社会になるわけである。さてそこで、今後の日本はどうなっていくのであろうか。たしかに、戦前までは日本も父系社会の考えできていた。力の強いほうが勝つという法則が明確にはたらいていたのである。生産手段も男が独占していたから、貢献度の高いほうが勝つという法則からいっても、明らかに父系社会だった。その結果、選挙権は女性には与えられず、なによりも貞淑であることが求められた。男の遊びは問題にされなくても、女性の浮気は離婚の原因とされた。

 しかし、日本が平和の中で著しい経済成長を遂げるにつれ、父系社会は崩壊の兆しを見せ始め、母系社会復活の兆候が徐々に現れてきている。例えば、人妻の浮気が多くなった。夫の浮気を理由に妻の側から離婚するケースも増えてきている。又、若い男女の関係にしても、ひと頃、若い女性が複数のボーイフレンドを持ち、アッシー君、ミツグ君などと呼んで、便利に使い分けしていることが話題になったが、これなども女性のほうが強くなり、女性が男性を支配しているいい例である。そして、なによりも女性が社会進出して経済力をつけるようになり、簡単に結婚したり子どもを産まなくなった(F参照)。これは、子どもを産むということの貢献度の大きさを男性に自覚させ、その決定権の強さを男性に誇示する効果を持っている。母系社会が復活することが、女性や男性にとって幸せなのかどうかはわからない。おそらくそれは、個人個人によって違ってくるだろう。ただ、そういう方向に変化しつつあることはまぎれもない事実である。

「F」
@女性の賃金が高い地域(上位24都道府県)では高い傾向がみられる初婚年齢

A女性の賃金が高い地域(全国47都道府県)では低い傾向がみられる出生率

(4)男と女のつりあった関係
 男と女の関係を決める要素についての考察は上記の通りである。さて、これを踏まえて、いよいよ男と女の理想の関係、つまり理想の家庭について述べていく。どうすれば、理想的な男女の関係、ひいては家庭を築いていくことができるのであろうか。それは、とりもなおさず自分とつりあった人と一緒(結婚)になることである。では、「自分とつりあった人」とはどういうことなのであろうか。自分とつりあった人とは、三高や玉のこしに代表される経済力や経歴とか身体的なことだけでなく、人柄や知性を中核とした人間としての総合的なレベルがほぼ同じでないと、一緒にいてもお互いに与え、補い、支え合うという交流や共感が不十分になる。それは、価値観が同じことではない。たとえ価値観が違っていても、お互いに対等な関係で相手の価値観を認め合うことができ、それが刺激となり、視野を広げ満足感をもたらすような関係にあることが大切ではないだろうか。

 そういう交流や共感がないと、夫婦関係のうち人間としての面が長続きしないであろう。そして、その面が欠けてくると男と女としての性的な関係だけになってくる。そういう性的関係は、まず精神的満足をもたらさなくなり、やがて性的関係そのものが形だけのものになっていくであろう。そうなると、一夫一妻制のもっとも基本的な部分が崩壊してしまうことになる。恐らくそういうことを知っているから、ある程度人間関係のあり方を経験的に学んだ男や女は、それぞれにつりあう相手を求めるのではないだろうか。

 そのため、経験が浅くてそういうことを学んでいない間は、つりあわない相手に恋をして結局は失恋や離別の痛手を負う場合がある。もっとも、そういう恋は、ある意味で純粋かつひたむきであるから、失恋や離別は人間としての成長をもたらすと共に、時がたてばよい思い出になるだろう。

 一方、つりあう相手をみつけた人の恋は、それほどドラマティックでないかもしれないが、つりあっている限りは、長く時には一生続くことになる。さて、つりあうかどうかの判断は、理性に委ねる以外にない。何故なら、理性が感情を解き放つと、一挙に恋情がほとばしるように人間はつくられているからだ。そして、おおかたつりあいのとれている男女の一方が他方に恋情を抱くとき、その思いが伝わると相手は他に愛してる人がいない限り、自分に恋をした人を愛するようになる。こうして、めでたくつりあいのとれたカップルが誕生することになる。このようにして生まれたカップルの人間的なつりあいが保たれている限り、二人はお互いから得るものが多く、二人の愛のある関係が続く。そして、子どもが産まれると、そういう関係は子どもの人間的成長に大きな役割を果たすであろう。一夫一妻制はそういう関係を安定させるための社会的制度であり、これは特に子育てに長い期間を必要とする人間にとって適した制度であろう。人間以外の動物にも、子育てが大変な動物ほど一夫一妻制になっているように見受けられる。愛し合い、協力し合って営む共同生活が社会的に認められないとなると、トンボのように、精子を送りこんだ後、他のオスたちにとられないように交尾した姿のままメスと一緒にどこへでもでかけなければならない。その格好では仕事も勉強も不自由してしまう。

 もっとも、一夫一妻制は、人間にとって必然的な制度とは考えられない。時代や地域によって、一夫多妻制もあれば一妻多夫制もある。男系の結合もあれば父系の結合もあるし、夫方居住もあれば妻方居住もある。同性同士が性的に愛しあうことも決して稀ではない。どういう生理的なメカニズムでそういう現象が起きるのかはわからないが、世の中にはいろいろな愛の形があり、それぞれの人たちにとっては自分のその愛が生かされることがもっとも幸せであることになる。婚姻の形態も、どういう社会的条件のもとで、一夫一妻となったりその他の形になったりしているのかが分析されているようには見受けられない。人類学者の実地観察記録によると、同じような未開の地域で、社会的経済的条件もそれほど違っているとは考えられないのに、婚姻の形態やしきたりが随分異なる場合が存在しているようだ。さらに、人間関係には、もちろん性を伴わない関係もあり、性的な関係は全くなしに気の合った同士で一緒に暮らし、助け合い、支え合っているケースも珍しくない。それも、一対一でなく、複数のグループで共同生活をすることも、世界中で普通にみられる現象である。そうなると、理想の家庭、家族の在り方、共同生活の仕方を、かくあるべしと一義的に定め、すべての人に強制するということは、相当な数の人に不幸をもたらすことになる。どういう家族(家庭)の在り方が人間に適しているかということは、科学的には全くわからない。

 科学的にわからないから、経験的にあるいは社会科学的にこれを解釈すると、歴史の現段階では一夫一妻制が多数派であるが、すべての人にとってそれが最適だとはとてももいえず、さまざまな形を求める人たちがいることである。要するに、「その人にとって幸せな関係が一番よい」ということである。

(5)むすび
 以上の考察をまとめると、つぎのようなことがいえる。第一に、何故、男は女を愛し、女は男を愛するのかという問いに対する答えは、動物のオスとメスが互いにひかれあう状態と同じである。つまり、専門的にいうと、オスないしメスから発せられるフェロモンが相手をひきつけて、動物ならば恋、人間ならば恋や愛という衝動を起こさせるわけである。

 第二に、人間における理想的な家庭の在り方に対する科学的な答えは、存在しないという結論が得られた。つまり、その人にとって幸せな関係が、理想的な家庭(家族)というわけである。

 以上で第3章をとじることにする。


「第V章」での引用文献・参考文献
・新井康允『脳から見た男と女 〜性差の謎をさぐる〜』 (講談社,1983年)128〜130/142〜147ページ ・大島清『人はなぜ「その愛」を選ぶのか』 (大和出版,1992年)19〜20/29〜32ページ ・編集経済企画庁『国民生活白書(平成9年版)』 (大蔵省印刷局,1997年)318/320ページ ・堀田力『学問はどこまでわかっていないのか』 (エモーチオ21,1996年)48〜67ページ ・エドワード・デボノ/箱崎総一,青井寛『頭脳のメカニズム』 (講談社,1972年) ・方励之 他/佐藤文隆,青木薫『宇宙のはじまり』(講談社,1990年)


終章
 本論文が、「学問的行為者による学問的行為」ではなく、「学問を通じて人格の形成をはかる」という、城西大学の建学の精神に基づいた作品であることをご理解いただけたならば幸いである。

あとがき
 どのような学問分野でも、専門化が高度に進むと総合的な視野が失われ、他分野とのつながりが見えなくなることがある。例えば、社会科学の分野でも、一時期は文化人類学が大きな期待を抱かせたが、それぞれの研究者が特定のフィールドワークを進める中で個別の地域に沈潜し、大きな視野を失いつつあるように見える。このような傾向はどの分野にも見られるものだが、その学問に対する期待が大きければ大きいほど失望もまた大きく、一体どうなっているのかと疑いたくなる。例えば、経済学に対する疑問もその一つである。たしかに、これは経済学だけの固有の問題ではないかもしれない。しかしながら、経済学に対する期待が大きいために、特に問題視されているのかもしれない。

 現在、日本の経済界は未曾有の混乱の中にある。金融業界だけでなく官界をも含めて根底的な改革が必要になっている。総会屋の介入を招くような事態は経済界だけの問題ではなく、日本社会全体の構造間題なのである。このような状況に対して政府は行財政改革によって対応しようとしている。しかし現在の行財政改革が財政赤字を絞っている限り、根底的な改革は出来ないであろう。今、日本に必要なのは財政赤字の削減よりは大義なのである。政治に大義がなく、経済にも大義はみられない。俗事にまみれた人間関係の中で右往左往しながら、ことが全体に及ぶことを避けようとして財政の問題に限定して切り抜けようとしているに過ぎない。政治に大義がないということは、日本の将来について希望も覚悟もないということである。クリントン米大統領は一般教書の中で、21世紀には国民のすべてが高等教育を受けられるようにするための財政措置を講ずると述べている。一方の日本では、財政上の観点から高等教育を切り捨てようという姿勢すらみられる。ここに米国と日本との政治姿勢における差がある。経済学に限らず諸学問がこのような事態に口をつぐんでいるのは、専門化が進んだためではない。学問が大義や義から身を遠ざけたためである。学問が誕生した頃は、どの学問も「いかに生きるべきか」という問いと無関係ではなかった。その限りですべての学問は教養そのものであった。

 しかし学問が制度と化し、国家が学問の在り方に口を出すようになってから、学問は国家によって助成され、国家と共存してきた。その過程で研究者個人の生き方は問われなくなり、専門分野に突入さえすればそれだけで評価されるようになってきたのである。しかし一国には義が必要であり、義がないところには混乱があるのみである。そして義とは最終的には一人の人間の生き方に基づくものであり、それが多くの賛同をえた場合、国民の義となるのではないだろうか。

 最後になったが、2年間私のようなお調子者を文句一ついわず面倒を見ていただいたゼミの担当教官であられる森田昌幸先生には感謝したい。いろいろ無理なお願いをしたにもかかわらず、先生は嫌な顔ひとつせず引き受けてくださったり、「おおいにやりたまえ」と励ましていただいた。とてもありがたいことであった。

 そしてこれは私だけでなく、全てのゼミ生が感じていると思うが、先生には学生をひきつけてやまない素敵な魅力がある。おそらくそれは、先生が教師という領域に踏み止どまらず、一人の人間として、自分の生き方や視野の広さを常日頃から我々に伝えてくれているからであろう。もちろんそのようなことができるのは、優れた教師の証でもある。優れた教師とは、周りの学生たちに学ぶ気力を起こさせる教師であり、それがすべてである。

 ゼミで培った経験を活かして、よりよい人生を歩んでいきたいと思います。森田昌幸先生どうもありがとうございました。

「あとがき」引用文献・参考文献
・阿部謹也「【生き方】を問わない経済学」『日本経済新聞』
(日本経済新聞社,1997年)10月22日(31面)
・中央大学総合政策学部編『中学生にもわかる大学の学問』
(藝神出版社,1997年)
・守屋洋『大学・中庸』(PHS文庫,1995年)
・ドミニク・モイジ「人間の価値観、劇的に変化」『日本経済新聞』
(日本経済新聞社,1997年)9月18日(31面)


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