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ゼミ通信 城西大学張ゼミナール2

1995年6月21日(水)

涌本

アジアの航空国際化

 在、アジア経済の動きが話題となっている。NIEs・ASEAN諸国の急速 な経済発展は世界の注目を浴ぴた。そして今、アジアの巨大市場へ向け、日米欧の 有カ企業が進出し、競争を行っている。それにともない、航空需要も大幅な伸びが 見込まれている。世界の成長センターのアジアにおいて、二十四時間運用可能なハ プ〈拠点)空港を開設することは今後、アジアの経済圏の中て優位性を確立するこ とになる。

 たがって、各国とも空の主導権を握るぺく、拠点整備に向け、空港の新設、滑 走路の整備に奔走中である。

 ず、香港であるが、1997年の中国返還に向け、新空港建設計画が進行中で ある。香港は,将来的には中国の資本主義モデルとして、「国際金融・貿易センタ ー」としての役割を期待されている。現在使用されている啓徳空港はこの機能に対 応するには手狭になりつつある。しかも、かねてから、離陸着陸の難易な空港とし て、パイロット間では不評であり、安全性にも疑問が残る。

 ずれにせよ、香港の将来を左右する問題であるために、この計面は香港側にと って死活問題である。

 の中国でも経済発展にともなう空港建設ラッシシュが続いている。とくにここ 数年、急激な経済成長にともなって旅客と貨物を合わせた航空需要が年平均20%前後増えており、空港建設が需要に追い付かない状態である。国際航空運送協会(IATA)も、今後5年間の航空旅客需要が世界でトップの伸び率になると見込んでいる。

 海では現在の虹橋空港を拡張する一方、浦東浦東開発地区に中国最大規模の新 空港を建設する計画で、新旧空港間で資金、路線配分を巡り競争が起こっている。 北京、武漢、福州、昆明、などの主要都市にいても空港建設・拡張工事計画が進行 中である。中国最大の経済成長エリアである華南地域でも深セン横田空港の拡張計 画や珠海、マカオの新空港が相次ぐ。

 国では、ソウル中心部から約500キロメートル離れた仁川沖埋立地に、新ソ ウルメトロポリタン空港を建設する。完成すると、総面積5,600ヘクタールの大 空港が誕生する。既存の金浦空港のヨーロッパ直航便の増強にも力を入れるなど、 もう一つの経済圏として有望な東北アジアのハブ空港を日指す、韓国の戦略の一貫 である。

 ンガポールでは、年間の空港利用者が2,000万人を越えるチャンキ空港のハ プ空港化が進んでいる。第2旅客夕一ミナルのほか、4,000メートルクラスの第3滑走路を建設中である。第3、第4旅客夕一ミナルの建設計画もあり、東南アジアのハブ空港としての地位を確立しつつある。

 の他、マレーシアの新クアラルンプール国降空港、フィリピンでは旧クラーク 来軍基地を再開発して建設するマニラ新国際空港、タイ・パンコクのノングハオ空 港などがアジア地域のハブ空港への成長を望んで建設に向け、着工されているのが 現状である。

 のようにアジアの急速な航空需要の増加には目覚ましいものがある。IATA によれば、この地域での航空旅客需要は2001年には世界全体の輪送量の約50%を占めると試算している。貨物部門も同様、欧州エアバス・インダストリーでは、アジア・北米・欧州路線の航空貨物需要(重量ぺ一ス)は、今後10年間で年率10%を越える伸びが見込まれ、2005年においては、この地域関連の航空貨物は世界全体の52%%に達すると見られている。


就職部の伝言板から

1、この時期、行きたい企業を3〜4社に絞り、企業情報を集めて、十分準備して から訪門し、結果を待っているのではなく電話して確かめましよう。

2、内定を貰ったら、必ず就職部に報告してください。季節の変わり目で疲労が溜 まる時期です。自己管理をして、頑張ってください。

【編集後記】

●昨年の空梅雨と違って、梅雨空が続く毎日ですが、くれぐれも心と身体にカビを はやさないように! (茂木)


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ぜミ通信 城西大学張ゼミナール2

1995年6月28日(水)

アジアの片隅から

◇今回の「アジアの片隣から」は、ちよっと趣向を変えて「詩」を掲載したいと思います。

◇その前に少しだけ解説を付け加えると、この詩の作者・ユン東柱(ユン・ドンジュ)は27歳の若さで、今からちょうど50年前の1945年2月16日に厳寒の福岡刑務所で獄死しました。

◇ユン東柱は1917年、中国東北部間島省明東村で生まれ、ソウルの延 専門学校(現・遠世大学)文科を卒業後、42年に日本に留学。まず立教大学で、ついで同志社大学で英文学を学ぴましたが、同志社在学中の43年7月、治安維持法違反(独立運動)の疑いで逮捕されました。

 そして翌年3月、京都地裁で懲役2年の判決を受け、その11ヵ月後、福岡刑務所で服役中獄死したのです。彼の死に関しては今だに謎に包まれています。

◇当時の支配権力によって葬り去られた若い命。その詩の言葉の中から、実にいろいろなことが訴えられていると思います。

 戦後50年ということで、いろいろと考える機会があるかと思いますが、これらの詩もそのひとつになることでしょう。

 前置きが長くなってしまいましたが、実際に作品を読むことによって、各自がその意味するものを感じとって下さい。

序詞 1941・11・20

死ぬ日まで空を仰ぎ
一点の恥辱(はじ)なきことを、
葉あいにそよぐ風にも
わたしは心痛んだ。

星をうたう心で
生きとし生けるものをいとおしまねぱ
そしてわたしに与えられた道を
歩みゆかねぱ。

今宵も星が風に吹き晒される。

星を数える夜 1941・11・5

季節の移りゆく空は
いま 秋酣(タケナワ)です。
わたしはなんの憂愁(ウレイ)もなく
秋の星々をひとつ残らずかぞえられそうです。

胸に ひとつ ふたつと 刻まれる星を
今すべてかぞえきれないのは
すぐに朝がくるからで、
明日の夜が残っているからで、
まだわたしの青春が終わっていないからです。

星ひとつに 追憶と
星ひとつに 愛と
星ひとつに 寂しさと
星ひとつに 憧れと
星ひとつに 詩と
星ひとつに 母さん、母さん、

母さん、わたしは星ひとつに美しい言葉をひとつずつ唱えてみます。小学校のとき
机を並ぺた児らの名と、 (ペエ)、鏡(キヨン)、玉(オク)、こんな異国の少女(オト
メ)たちの名と、すでにみどり児の母となった少女たちの名と、貧しい隣人たちの名
と、鳩、子犬、兎、らば、鹿、フランシス・ジャム、ライナー・マリア・リルケ、
こういう詩人の名を呼んでみます。

これらの人たちはあまりにも遠くにいます。
星がはるか遠いように、

母さん、

そしてあなたは遠い北間島(プッカンド)におられます。
わたしはなにやら恋しくて
この しい星明りがそそぐ丘の上に
わたしの名を書いてみて、
土でおおってしまいました。

世を明かして鳴く虫は
恥ずかしい名を悲しんでいるのです。

しかし冬が過ぎわたしの星にも春がくれぱ
墓の上に縁の芝草が萌えでるように
わたしの名がうずめられた丘の上にも
誇らしく草が生い繁るでしよう。

【編集後記】

今週号はちょっと変わった内容でしたが、いかがだったでしようか? 早いもので次号は前期最終号となります。お楽しみに! (茂木)


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