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プロレタリア文化大革命について

 私は以前、プロレタリア文化大革命(以下、文革と略称)についてあまり知らなかった。楊氏の本を読んで文革の一面を知り、それに関心を持った。そして、いくつかの本を読んだ。文革について以前よりは理解を深めることができたが、それが何であったのかはよくわからない。ただ、それらの本を読むことによって、私の中に二つのものが残った。一つはすでに触れた文革の出来事やそれらへのいくつかの識者の見解といったものである。もう一つは、以前よりも毛沢東が好きになったことである。文革を語る上で毛沢東を欠くことはできない。

 以前の私の毛沢東像は、苦難を乗り越え、中華人民共和国を建国した人。大躍進文革の失敗等も指摘されているがすごい人という印象であった。そのすごい人という印象はやはり建国までの苦難を乗り越えたということから受けた。そして、いくつかの本を読み、一般的にはマイナスに評価される建国以後の彼をいくらか知ることによって、更に好きになった。建国以後、特に文革期の彼については、中国政府の公式見解においても誤りであったとされており、たいていの人がマイナスに評価するであろう。私も社会的にはマイナス評価である。しかし、私は個人的に彼が好きである。もし、毛沢東は優秀な政治家であったかと問われれば、答えはNOである。ありふれた言い方であるが、彼は最後まで革命家であったと思う。

 私が毛沢東に好感を持ったのは、私の好きな日本のある歴史上の人物と結びついたからである。その人物とは西郷隆盛である。毛沢東西郷隆盛がどう結びつくのかといえば、それはどちらも自らの出身母体(支持者)を裏切らず、常に彼らの代弁者であり続けたと感じたからである。

 西郷隆盛は19世紀の日本の幕末から明治時代に活躍した。彼も日本の明治維新革命を推進した人物として革命家と呼ぶことができるであろう。彼は、薩摩藩の下級武士の出身で彼らに支持された。当時の日本は内憂外患、危急存亡のときであった。彼はそういった時代背景と薩摩藩の下級武士出身であるという認識を常に持って行動していたように思われる。特に出身母体(支持者)を裏切らなかったという点は、明治新政府を下野し、故郷の薩摩・鹿児島に帰り、西南戦争で亡くなるまでに強くあらわれている。西南戦争で旧薩摩藩下級武士達と伴に死ぬという彼の最期は象徴的である。

 毛沢東は20世紀の中国の革命家である。西郷の出身母体は下級武士であったが、毛沢東のそれは農民であった。西郷はあの時代背景に下級武士であったから、革命への道を歩んだと思われる。も同様にあの時代背景に農民であったから革命家になったと思われる。毛沢東は農民革命家である。あの時代に憂国の情を持ち、赤心に突き動かされた農民であった。彼は、農民であったからこそあの時代の中国を一つにすることができた。また、それ故に建国以後失政をした。農民の視点からだけでは、工業化を推進しなければならない近代国家を建設することはできないのである。それにもかかわらず、私は個人的に毛沢東が好きである。それは彼の人生の軌跡が”出身母体・支持者を裏切らなかった”と私に感じさせたからである。

 私は、文革について書かれた幾冊かの本を読み、毛沢東は農民の代弁者であり続けたと感じた。私はそのためにますます彼が好きになった。

参考文献:楊威理(1994)『豚と対話ができたころ―文革から天安門事件へ』岩波書店同時代ライブラリー190。
その他2〜3冊。

 1997年3月23日 内田真人
 2001年1月28日 改訂