森田ゼミ96年黒旗福助トップ

hukusuke  福助2号  
発行所 :Y.H.アカデミー
パトロン:森田ゼミナール様

日本の古典文学について  川嶋直子

 私は源氏物語が好きである。

 どこが好きかと言われても、答えに戸惑ってしまうのだが、理由なしになぜか好きなのである。

 もちろん、他のものも興味がある。今昔物語や宇治拾遺物語など、私の興味を引くものばかりである。それらの古典の中でも私が一番気に入っているもの、それが源氏物語なのである。

 誰もが思うように、源氏物語はややこしい。特に人物関係がややこしい。言うまでもないが、私はどんなに源氏物語が好きだと言っても登場人物はあまり把握していない。誰が誰の子供かなどと考えてみても頭が混乱するばかりでちっともわからない。高校の時に使っていた国語総覧を見ていても、いまだに理解していない。何度見ても覚えられないので、「やはり私はすごいバカなのでは」と疑問を持ってしまう(実際はそうなのだが)。人物関係を理解していなくても楽しめるもの、それが私にとっての源氏物語なのである。

 私は中学3年頃から源氏物語を全部続けて読んでみたいと思っていた。本屋に立ち寄って探してはみるものの、参考書コーナーであったために、途中が抜けていたりしていたので買うことはなかった。マンガで『あさきゆめみし』というものがあるが、それでさえ読むことはなかったのである。今改めて考えてみると、それほど読みたい本ではなかったのではないかと思う。しかし、それでいても私の中にあったのは「いつかは絶対読みたい源氏物語」だったのである。

 そして現在、私は夢を実現している。原文ではないのだが、前々から読みたかった源氏物語を読んでいるのである。 窯変(ヨウヘン)源氏物語。この本の存在が私の夢を実現してくれているのである。この本は高校のときにも売っていたのだが、ハードカバーであったため、当時の私には手の届かない存在であった。確か2000円くらいしたと思う。他のものを節約すれば買えなくもなかったのではあるが、やはり高嶺の花だったのである。現在、文庫本としては高いながらも、ハードカバーよりもお手頃価格で店頭に並んでいる。全14巻で、7巻まで出ている。毎月1冊必ず出るので私の楽しみはつきることがない。やっと夢が実現しつつあるのだから、人物関係や話の内容を完全に把握するまで読み返したいものである。

 ここまで筆を走らせてきてはみたものの、最初のテーマである、「古典文学について私が思うこと」からかなり違った方向へ進んでしまったようである。ここまできたのだからテーマについて書くのも今さらである。そういったわけでこのまま続けることにしようと思うので許していただきたい。

 話を変えよう。

 「鸚鵡篭中記(オウムロウチュウキ)」という日記を知っているだろうか。元禄の頃に朝日文左衛門重章という御畳奉行(オタタミブギョウ)が書いた日記である。当時の文化や生活、演劇批評や博打について、ありとあらゆるものが赤裸々に綴ってある。もちろん彼の生活についても書かれている。酒好きであったことや、演劇好きであったこと(しかも職務を放り出してまで見に行く)、女好きであったことなどが包み隠さず書かれているのである。妻に読まれては困ることなどは暗号を作ってまで日記に書く、そんなまめな人が江戸時代にもいたのである。

 この「鸚鵡篭中記」は、中公文庫から出ている『元禄御畳奉行の日記』という本で読むことができる。私は『元禄御畳奉行の日記』を読んだのだが、この本もまた、源氏物語同様に一度読んだらやめられないものである。演劇を見ている時に夢中になって、命よりも大切な刀を抜き取られてしまう、そんな武士がいたのである。しかも彼のまわりには変わった人が多かったようで、ところてん自殺をする人、心中がはやっているからといって心中をする人、様々な人がいたようである。

 この本を読むことによって、今も昔も同じような生活をしているということがわかるであろう。ぜひともこの本だけは目を通してもらいたいものである。

 古典を読むということ、これは簡単にできるものではない。言葉が違ったり、表現もいろいろな意味を含んでいたり、大変なものである。しかしそれを読む苦労は、当時の文化や生活をのぞくためには仕方がないものである。古典を読むということは当時を研究することである。但し、そんなに昔が良かったからといっても真似をするものではない。真似をしても仕方がないだろう。昔は昔、今は今なのである。昔にこだわるより今を考える、これが何よりも大切なことではないだろうか。