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悲観的アジア経済論

政治経済学的アプローチ

1997年7月7日

内田真人

はじめに

 東アジアと東南アジアは、急速に発展しているため多くの人の注目を集めている。多くの人がこれら地域を研究し、たくさんの本が出版されている。こういった本の中にはアジア経済の輝かしい未来を描いたものから暗い未来を描いたものまで様々である。

 私が今まで学んできたものは、アジア経済をプラスに評価したものが多かった。マイナス点としては、環境破壊貧富の格差があげらていたが、これらは先進国も経済成長の過程で経験し、徐々に改善してきた。

 しかし、張紀南先生が講義で配ったポール・クルーグマンの”まぼろしのアジア経済 [リンク先は目次PDF448KB]”は、50年代ソビエトの経済成長の例をあげ、アジアの経済成長はそれと同様に投入量の増大によるものであり、長続きしないと理論的に説明していた。これは、大変興味深いものでした。

 私が読んだ本にもそれとは違うが、アジア経済について悲観的なものがあった。アジア経済は多様なので、それをよく理解するためには多様な視点が必要であると思う。そこでこのレポートはもう1つの悲観論を簡単にまとめてみることにした。

21世紀はアジア太平洋の時代か

 ”21世紀はアジア太平洋の時代になる”ということが言われるようになってから久しい。それは1984年に太平洋貿易が大西洋貿易を凌駕し、この地域における経済活動が年々活発になっているからである。

 アジア太平洋地域の経済において重要な役割を果たしているのは米国と日本である。米国では産業の中心が東部大西洋側のスノウベルトから西部太平洋側のサンベルトへ移っている。日本では1985年のプラザ合意から製造業がアジアの低廉な労働力を求めて生産拠点を移している。基本的には、これらの動きがアジア太平洋地域の発展を支えている。

 しかし、これらの動きは手放しで評価できない。このような方法による経済成長は必ずしも現地に住む人々に利益をもたらさない。第2次大戦後のアジア太平洋地域は、日本を含む大半の国々が米国の前線防衛諸国として発展してきたからである。日本も前線防衛諸国の1つであったが、高度経済成長を達成したため、日本のアジア地域への賠償等を係わらせながら、日本に米国のアジア戦略を補強する役割を担わせた。そのため、アジア地域は他の地域よりも資金に恵まれ、今日の発展の基礎を作ることができた。

 このように今日のアジア太平洋地域の発展は現地の人々が一致団結して達成したというものではない。また、それに重要な役割を果たしている米日政府と企業は現地の人々のために活動をしているわけではない。彼らがいう自由貿易は強者の論理であり、国際分業とは米日を中心とした経済システムに他のアジア太平洋諸国を組み込み、非自立的で従属的な国民経済とする新植民地主義的な性格を有している。また、自由競争を旨とした経済システムは、しばしばその経済システムを支える人々を疎外する。それをいくらか回避する手段として、民主主義が機能することをあげることができるが、アジアの多くの国々が未だ非民主的であり、開発至上主義であるためそれを期待するができない。アジア太平洋地域はこれらの問題の解決なしには、例え更に経済成長を続けたとしても、又は続けるほどに大きな破綻を迎えることになるかもしれない。アジア太平洋地域は輝かしい未来が待っているわけではない。

アジアNIEsとは

 アジア太平洋地域の経済発展が米日の政府と企業によって担われていることはすでに述べた。ここでは更にアジアNIEsについて詳しく検討していく。

 アジアNIEs(新興工業経済地域)は、経済成長が著しい韓国、台湾、香港、シンガポールを指す。NIEsとほぼ同義の用語にNICs(新興工業国)がある。NICs欧州NICs(スペイン、ポルトガル、ギリシャ、ユーゴスラビア)とラテンアメリカNICs(ブラジル、メキシコ)があった。しかし、これら地域はその後停滞してしまった。現在でも注目されているのは、アジアNIEs及びその周辺のASEANと中国である。それは、雁行型発展と呼ばれているが、基本的にはインダストリアリズムの波及説で説明される。インダストリアリズムの波及説とは、後発国の工業化は先発国に発する工業化の波及を受けて開始されるのが歴史的な一般法則であるという説である。この説によれば、欧州NICsラテンアメリカNICsの急速な工業化もいくらか説明できる。しかし、欧州、ラテンアメリカNICsは停滞し、アジアNIEsは持続的に成長したため何らかの違いがあったと考えられる。

アジアNIEsの経済成長分析

 アジアNIEsの成長要因として5つあげることができる。

 第1は輸入代替型工業から輸出志向型工業への転換である。アジアNIEsの成長メカニズムは1970年代から機能を始めた。その成長メカニズムは、1988年の『通商白書』によれば、”外資導入→資本形成促進→生産能力拡大→輸出増加→輸入拡大→資本財輸入増加→資本形成促進”というものである。外資導入は日米企業、輸出増加は米国市場、資本財の輸入は日本が大きな役割を果たした。

 第2は積極的な外資の導入である。これにより固定資本形成の高い伸びを実現することができた。主な外資の導入先は米国と日本の企業であった。また、これらの国へは前線防衛国として米日政府の援助や米日企業の投資環境を整備するための政府の開発援助が行われた。

 第3は政治が安定していたことである。これはすでにふれたが米国が前線防衛国としてこれらの国に政治的安定を求めたためである。政治が安定していたため、経済は政治的要因で混乱することはほとんどなかった。しかし、これは第1に軍事、第2に政治であったために民主的ではなかった。韓国と台湾の経済が軍事政権の下で成長したことはこれをよく表している。

 第4は規律に富む教育された豊富な労働力の存在である。アジアの多くは儒教の影響を受けており、比較的教育に力を入れる傾向がある。非民主的な政権下ではあったが、政治的安定が持続したので学校教育が次第に普及した。また、アジアは約30億の人口を抱えるために労働力の需給関係が常に供給過剰であり、安い労働力を得ることができる。

 第5は積極的で有能な企業家層の存在である。これは、華僑と華人の存在をあげることができる。台湾、香港とシンガポールの経済成長に彼らの果たした役割は大きい。また彼らは、東南アジア地域にも多く、大きな役割を果たしている。しかし、彼らにはマレーシアのブミプトラ政策やインドネシアの華人迫害のような問題がある。これは、彼らがその国の経済において大きな地位を占めてしまうためである。また、各国が輸入代替工業化政策を採用していた頃に育った企業家もいる。彼らも大きな役割を果たしているが、輸出志向工業化政策により、徐々に巨大な外資が進出し、自立的な経営が困難になっている。

ASEANと外資

 ASEANは1967年8月8日の「バンコック宣言」によって成立した地域経済協力機構である。これは、南アジア、アフリカ、中南米にもみられる途上国間、いわゆる南南協力の経済協力機構である。近年、ASEANは一般的に他の経済協力機構よりも成功している。しかし、ASEANは成立から順調に協力関係を進展してきたわけではない。

 当初、ASEANは成立から9年間は協力関係を進展させることができなかった。1975年のインドシナ3国(ヴェトナム、ラオス、カンボジア)の解放に危機感を抱き、反共政権として結束を迫られ、1976年2月にバリ島で第1回ASEANサミットが開催され、それがASEANの経済協力の実質的な出発点となった。

 第1回と第2回のASEANサミットにより、貿易においてASEAN特恵関税(PTA、1977年)、工業においてASEAN工業プロジェクト(AIP、1976年)とASEAN産業補完計画(AIC、1981年)の各協定が締結された。しかし、これらが今日のASEANの経済成長をもたらしたのではない。

 それはこれらの協定が基本的にASEANの自立的経済形成政策、つまり輸入代替政策であったからである。PTAは域内貿易を活発にすること、AIPは1国では実現困難なプロジェクトを協力して推進すること、AICは具体的には”ASEAN自動車構想”である。

 しかし、これらからほとんど成果を得ることはできなかった。

 ASEANの今日の経済成長をもたらすきっかけになったのは1987年の「マニラサミットの共同宣言」である。その共同宣言では、PTAの改善とAIJVの拡充が取り決められた。AIJVはASEAN合弁事業協定とも言い、1983年に締結された。それは、民間の自主性を尊重し、域内の活性化のために域外の外資企業の参加を認めていこうとするものである。これは、言い換えれば多国籍企業への門戸開放である。ASEANは以前から比較的外国資本に対して開放的で、1960年代以降のASEAN経済においてそれは大きな働きをしてきたが、工業分野の域内経済協力にも参加を認める方向を打ち出したのはこれがはじめであった。

 「マニラサミットの共同宣言」は1980年代半ばにASEANが直面した国際経済の悪化を乗り切るための1つの方法であったし、今日の経済成長の基本的な路線を作ったものであったが、もう1つの方法、ASEAN結成当初の理念である集団的自立路線の放棄でもあった。そして、この共同宣言の最大の受益者は多国籍企業である。多国籍企業は現地で利潤の追求のために活動し、時には利潤追求の妨げとなる共同規制措置等を挫折に追い込んだ。

 ASEANは結成当初の地域経済協力機構としての機能を次第に失っている。このような指摘は以前からあり、”政治的な力によって経済協力への努力が妨げられた地域協力機構の好例”と形容されたりもした。しかし、現在ではより大きな地域経済協力機構であるAPECの中に埋没し、実質的に消滅してしまうかもしれない事態になろうとしている。他国籍企業はより自由でより大きな市場を求めている。しかし、そういった場で巨大資本に対して効果的な規制措置を執れなければ、労働の超搾取や環境破壊を引き起こすことになるであろう。

 ASEANは現在急速に経済発展をしているし、1人あたりGDPも大きな伸び率を維持しているから格差の問題はあるが国民全体は確実に豊かになっている。それは現在取り得る最善の策でいいことなのではないかと考える人がいると思うが、それに対しては再びこう尋ねる。確かにGDPは大きく伸びているが、ではその伸びた分だけ確かに国民生活は向上しているか。地域経済は現地に住む人々への視線が1番大事なのではないかと思う。

あとがき

 アジア経済への1つの視点として簡単にまとめてみた。参考文献[1]はある中国人留学生が貸してくれたものである。私はそれなりに興味深く読むことができた。ここで展開されているのは政治経済学である。それは、イデオロギー的でもある。

 しかし、この本の中では輸出志向型発展モデルを古典派の自由放任主義へのドグマに基づくものであると非難し、社会科学である限りドグマは廃さなければならないと論じていた。

 ここでまとめた悲観論に私は賛同しないが、いろいろ学ぶべきものはあるように思う。アジア経済を理解するためには様々なアプローチを使って検討することが必要であると再認識した。


参考文献
  1. 西口清勝(1993)『アジアの経済発展と開発経済学』法律文化社。[Rakuten]

  2. ポール・クルーグマン(1995)「まぼろしのアジア経済」フォーリン・アフェアーズ日本語版 1995年1月号

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