森田ゼミ96年黒旗福助トップ

hukusuke  福助1号  
発行所 :Y.H.アカデミー
パトロン:森田ゼミナール様

北方領土問題について

 B・N・エリツィン(ロシア)との会談で必ず触れられる問題として、北方領土問題があげられる。この問題に関し、三つほど疑問がある。

 まず、「何故、歯舞・色丹・国後・択捉という四島の返還だけを主張するのか」という第一の疑問が生じる。 最初に、総務庁が発行している『総務庁年次報告書 (平成3年版)』「北方領土関係年表」を参照してもらいたい。(A参照)

[A]北方領土関係年表

 明らかに不思議な点がある。それは1951年9月8日の備考欄−−「北方領土は、一度も他国の領土となったことがなく」−−というくだりである。
 1951年9月8日以前に、北方領土を領有する旨の条約署名がないのに、どうして“固有の領土”と主張できるのか。又、江戸時代末期から明治の始めにかけて、日本人が住んでいたという有力な証拠となる資料が存在していない点一つをとってみても、そもそもこの四島を古くから統治していたとは考えられない。
 「何故、四島だけが返還なのか」について、もっと日本国内で議論を深める必要がある。

 第二の疑問として、「返還後は島はだれのものになるのか」という点があげられる。 北方領土には、戦前6郡7村があり、終戦時には約3100世帯約1万7000人の日本人が定住し、主として周辺海域の豊富な水産資源に依存した漁業を中心に生活を営んでいた。
 単純に考えれば、四島は戦前に住んでいた人のものだ、という議論が一つ成り立つ。しかし、その人たちが移り住んで行ったところで、島が成り立つのかという疑問が残る。当時、四島には1万7000人が定住していたが、現在は、おそらくまだ生きているだろうと思われる2000世帯の戸籍が根室市の管掌事務所に登録されていて、いつでも北方領土内に本籍を移せるようになっている。
 又、島は戦前に住んでいた人のものだから、漁業をいちはやくはじめた人に漁業権が発生するのは当然の成り行きである。つまり、島はごく小数の人の私有物になるわけである。さらに島には当然、道路や水道などのインフラの整備をしなければならない。その費用は誰が負担するのか。島に戻った2000世帯からの住民税だけでは絶対に無理である。

 そこで最後の疑問として、「返還後の島の運営はどうなっているのか」という点があげられる。
 当然運営費に関しては、東京・大阪在住者の税金が運営費として使われる。彼らが納得しているのなら問題はない。が、もし、そうでないのならば、まず東京・大阪の市民と話し合う必要がある。
 又、新たに領土が増えるのだから防衛上の問題が発生する。結局、四島のうち一島に自衛隊が駐留し、防衛費の問題が発生するだろう。

 とにかく一刻も早く、何故、北方領土返還が、「国民の願い」であるのか。又、そのように解釈できる、「北方領土問題等の解決の促進のための特別措置に関する法律」(略して「北方特別措置法」)とは、何であるのかを充分国民が理解する必要がある。

〈参考文献〉
 ・大前研一 『世界の見方・考え方』 (講談社,1991年)
 ・総務庁 『総務庁年次報告書 (平成3年版)』「北方領土関係年表」(総務庁,1991年)
 ・平成元年国土地理院 『全国都道府県市区町村別面積調』「北方領土略図」(国土地理院,1989年)