森田ゼミ96年黒旗福助トップ

hukusuke  福助5号  
発行所 :Y.H.アカデミー
パトロン:森田ゼミナール様

藤本君の『北方領土はアイヌのものだ!!』という発言を受けて  コメント:山路博之

 アイヌ民族の人権を考える場合には常に重要なことがある。それは、彼らを小数者(マイノリティあるいは小数民族)と位置づけるか、それとも先住民族としてみるかである。この見方の違いによって、その後のアイヌ問題を議論するのにも若干異なってくる。もちろん、在日韓国人・朝鮮人やその他の外国人同様に、アイヌの権利や文化権を社会が認め、共存していくことは重要である。だが、仮にアイヌの人を先住民族として位置づけた場合、若干違ってくる。

 具体的にどの点が違ってくるかといえば、土地権と自決権という2つの要素がかなり強く主張されてくることである。つまり、この土地権と自決権という問題は、異次元国家(パラレルステイト)という非常に日本人にはわかりにくい国家の形成論に入ってくる。例えば、自治権の強い領土には「中間国家」という概念があり、又、国家の中や国家の上に国家をつくる「連邦国家」というのもそれに近い考え方だといえる。

 こうした考え方は、伝統的な16世紀に成立した国家概念からすると非常にわからないことになる。とりわけ、単一民族などというありもしないことを前提に国家を形成した日本、及び日本人にとっては、そうしたことが権利なのかさえピンとこないわけである。

 アイヌ民族の主張の中でも、1982年の5月のウタリ協会の総会で、「北方領土における先住権の留保」という主張が提案された。又、一部にはサハリンであるとか千島であるとか、もともとアイヌ人が先住していた地域に対してアイヌ民族の特別漁業権を認めたらどうかという主張も取り沙汰されている。ソ連と日本という国家の境界、それはソ連と日本のたまたま境界であるけれども、アイヌ民族にとっては伝統的なある種の生活圏なのである。こういう問題の立て方、自分達の伝統的な権利を復活させるという考え方が徐々にではあるが広がってきている。以上がアイヌ民族を先住民族として見た場合の、土地権に関する概念の説明および現状である。続いて自決権の概念について考えていく。

 アイヌ民族を先住民族として見た場合、自決権という要素が強く主張されてくる。自決権という概念を考えるにあたり、一つの例で見ていくことにする。その例とは、アメリカのハウデノショーニというインディアンのグループである。

 このグループは国連に対して、「自分達のコミュニティというのはネーション以外の何ものでもない」ということを主張している。「アメリカやカナダという国家は自分達の国の回りに出来た国家であって、自分達は決してアメリカという国家の中にあるのではない」、という主張をしているわけである。故に、アメリカ合衆国と結んだ条約というのは国際法上の効力を持っているというわけである。彼等の主張の中には、「国連における議席を要求したい」というようなことも上がっている。こうした民族体、あるいはコミュニティは、英語でいうと、「ドメスチック・ネーション(国内国家)」とか、「インジニアス・ネーション(先住民国家)」という言葉になる。しかしどうも日本語に直すと、うまい訳が見当たらない。さらに日本人にはその意味がピンとこないのである。「民族自治体」みたいな訳が現状に近い気がするが、日本の言葉ではなかなかそういう「異次元国家(パラレルステイト)」という概念が頭に入ってこない。つまりこういうところに日本人の国際的な非常識をみることができる。

 さて、アイヌに関する自決権をあげれば、次の通りである。1982年の5月のウタリ協会で新法制定要求決議を行っている。さらに'84年の5月にアイヌ新法案というのをウタリ協会で決議している。

 この法案の最大の特徴は、アイヌ民族が独自で作成したことである。政府立法や議員立法と違って、その法案自体を市民が作成した。このような動きは、定住外国人の問題でも進んでいるようであるが、新しい民主主義の先駆けといえるだろう。

 土地権や自決権についての権利要求が強いというのは、先住民族に関して際だった特徴である。現在こうした先住民族の権利は国連で頻繁に議論されている。

 もし仮に、現在の国連加盟国('91年現在166カ国)に新たに先住民族を加盟させるとどうなるか。国連を中心に活動している先住民グループを国連へ加盟させると、加盟国は300から500になるといわれている。これは数としては加盟不可能な数値ではないが、既加盟国は納得しないであろう。

 そのため国連では、先住民国家の加盟ではなく、国家の再形成論ということで新しい概念を作ろうと作業が進んでいる。これはどういうことかというと、もともと国家ができる時に、実は先住民族との基本的な交渉が必要であった。ところが交渉が全くなしに、「無主地の先占」という非常に変わった理屈があった。そのため、誰もいない土地は先に取ったほうが勝ちだといって国家が広大な領土をもつようになる。しかし、誰もいなかったというと、そんなことはないわけである。

 以上から、もう一度国家形成のある種の概念的段階まで戻って、「いったい国家というものはどうあるべきか」について議論をする必要がある。そういう中で、アイヌの在り方を問い直すべきである。

〈引用文献〉・上村英明 『国際人権と日本』(第二東京弁護士会,1988年)