森田ゼミ96年トップ

(1)対外累積債務一五○億ドルは、一九八九年一二月、チャウシェスク銃殺刑までに完済されたが、そのため国民は、食糧、燃料、電力不足に悩まされた。ブカレストの日中停電は名物となった。
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(2)バルト三国がスターリンによって社会主義化され、ソヴィエト領へ編入されるプロセスは、ユオザス・ウルブシス著、村田陽一訳『回想録 リトアニア』−−厳しい試練の年月−−新日本出版社、一九九一年四月二○日初版、にくわしい。
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(3)「消えたかと思われた聖なるロシアが、一九八八年の六月上旬に千年目の誕生日を迎えた。聖なるロシアの誕生日はロシアの国の誕生日でもあるから、帝政ロシアの時代であったならば、国をあげて祝ったはずである。一年前に革命七○年目の誕生日を迎えたソビエト・ロシアには関係がないので、記念式典は質素に教会の中だけで行われることになっていた。ところが意外なことに政府首脳が、記念式典の二カ月前に、これまでの教会に対する政府の態度に誤りがあったことを公の場で認める、という考えられないことが起きたのである」(高橋保行著、『ロシア精神の源』−−よみがえる「聖なるロシア」
−−「はじめに」七ペ−ジ、中央公論社、一九八九年一二月二○日)この内容とまったく同じことを、一九八九年一○月、レニングラードのアレクサンドル・ネフスキー寺院で経験した。一九八五年以来ロシア正教会は、すでに復活していた。
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(4)「ここにある文字」とは、マルクス・エンゲルス全集より引用した部分をさす。
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(5)内戦の過程でプロレタリアート独裁を実現させ、社会主義政権を確立する。社会主義革命成功のために帝国主義戦争を利用するとなれば、国際の平和と矛盾対立する。かつての国際共産主義運動は、まさに「革命の輸出」であった。アジア、アフリカ、ラテン・アメリカ諸国に対する「革命の輸出」が戦争原因であったことは現在なお記憶に新しい。
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