森田ゼミ96年黒旗福助トップ

hukusuke  福助6号  
発行所 :Y.H.アカデミー
パトロン:森田ゼミナール様

音楽とのつきあい その1  川嶋 直子

 ここに書くのは2回目である。

 今回は今までの人生の中で重要な役割を果たしてきた音楽とのつきあいについて書こうと思う。今回のはあまり面白くないと思うので、期待をしてくれている方はあきらめていただきたい。

 私は3歳の頃からピアノを習っていた。いや、正確に言えば習わされていた。自分から習いたいと言って始めたわけではない。どこをどう考えても、自分からやりたいと言った覚えがないのである。

 しかし私はそのことを恨んではいない。むしろ感謝しているのである。もしその時にピアノを始めていなかったら、今の私はありえない。小さな頃からピアノをやっていたおかげである程度の音楽も身に付いたし、クラツシックというジャンルにも平気で入っていくことができた。もちろん、歌を歌うことや曲を聴くこと、楽器を演奏することの楽しみ方も身に付けていた。

 そんな私も音楽に対して挫折感を味わった事がある。考えてみれば、生まれてから音楽に自信を持っていた私が初めて感じた挫折感である。

 確か小学生だった頃である。

 私は音楽に関するものには何にでも興味があった。だから合唱部にも所属していた。その時である。一人で歌わされた時、私は気付いた。

 歌が歌えないのである。声が出ないとかそういう訳ではない。あまり大きな声が出なかったのである。それまで歌にも自信を持っていた私であったのだが、その時を境に歌に対する恐怖感のようなものが私のなかに住み始めた。その恐怖感は中学を卒業するまで住んでいたと思う。そのおかげで何かはわからないが、音楽の成績も下がり始めてしまう。

 今考えればバカみたいな話である。

 それから下がり続けた訳ではない。立ち直りがはやいということが私を救けたのである。歌がダメなら楽器があるさと考え直し、音楽全体に対する恐怖感というものが消えたのである。

 さて、少しピアノのことにふれようと思う。

 先にも言ったように、3歳の頃から習い始めたのであるが、はっきり言って私はピアノを弾くのがあまり上手ではない。12歳まで習い続けたにもかかわらず、下手なのである。まったくどうしようもない。練習嫌いだった訳ではない。極度の恥ずかしがり屋だったのである。家族の前でピアノを弾くのも恥ずかしかったので、一人で家にいるときしか練習をしなかった。勿論、いつも家族がいない訳ではなかった。だからあまり練習をせずに習いに行っていた。ピアノの先生の家で練習をしているのと同じだったのである。今考えみると、これもまたバカみたいな話である。恥ずかしがらずに練習していたら、今ごろ音大にでも行っていたのではないかと思う。練習していたらなぁ。

 今回はここで終わりにしようと思う。短く簡単に説明できるようなことではないようである。続きはまた次の機会に。