森田ゼミ96年黒旗福助トップ

hukusuke  福助11号  
発行所 :Y.H.アカデミー
パトロン:森田ゼミナール様

音楽とのつきあい その5  川嶋直子

 ハアー。
 ため息が出てしまう。また今回も書くのである。
 毎回毎回すみません。

 今回は高校の音楽の授業のことを書こうと思う。

 どこの学校もそうなのかもしれないが、私の高校は芸術の授業が選択であった(書道・美術・音楽)。勿論私は音楽を選択していた。
 音楽の先生は後ろ姿は20代のお姉さんなのだが、前から見るとウルトラマンか何かで出てきそうな怪獣みたいな顔をしていたおばさんなのである(先生すみません)。先生は私が中学で管弦楽をやっていたのを知っていて、入学当時はよく音楽部に入れと言われたものである。

 また話が横道にそれてしまった。ここで書きたいのはそんなことではないのだ。

 小学生の時から歌を歌うことに恐怖感を持っていた私であるが、どういう訳か高校で歌に目覚めた。いつのまにか歌が歌えるようになっていたのである。まわりからは誉められたりとそれこそ鼻高々だった。だから毎週二回の音楽をそれこそ楽しみにしていたのである。何よりも歌のテストが私の楽しみだった。緊張はするものの、歌っているときと歌いおわったあとの充実感や満足感、本当にやみつきになっていた。

 歌が歌えてピアノも弾ければ成績はいいはずである。2年までしか音楽はなかったのだが、本当に授業を楽しむことができた。

 2時間のうちの1時間は毎回音楽鑑賞の時間だった。先生の説明の後、音楽を聴く訳なのだが、私は話はいいからはやく聴かせてくれと思っていた(本当にごめんなさい)。曲を聴いている最中は寝ている人もいれば、勉強している人もいる、そんな時間に私はいつもまじまじと聴いていた。たまに、数学の宿題をやっていたように思うがこの際気にしないでおこう。いろいろな曲を聴いたり、カルメンを見たり、マイフェアレディを見たりと興味があることすべてを楽しめたように思える。そんな音楽の時間が私は好きだった。

 3年になって、芸術とかそんな名前の授業がいつのまにか時間割からなくなってしまっていた。これは当たり前のことではあるのだが、私の生活のなかの一部分がなくなってしまったように思えて何だか悲しかったのを覚えている。

 出会いがあれば別れがあると言うように、私は弓道に出会ってしまったので、それまでいつも付き合っていた音楽と別れなければならなくなった。そうは言っても、音楽を聴かなくなったとかそういう訳ではない。ピアノもバイオリンも趣味という形でいつまでも付き合うことが出来るし、気軽に音楽を聴くことができるのであるから、音楽との本格的な別れという訳ではないのだ。だから私は今でも音楽と付き合っている。

 そういう訳で、今も私は音楽とともに生きているのである。
 いつでも心に音楽を。

おわりに

 5回も続ける気は本当はありませんでした。書いていたらいつのまにかこんなに長い文章になってしまったのです。

 自分にとって大切なものを人に見せるということはやはり大変な事なんだと実感しています。言葉では表すことのできない思いを私は音楽に対して持っているので、今回の文章だけでは何が何だかさっぱりわからないかもしれません。ただ自己満足のために書いてしまったようにも思えてきます。それは仕方がないことなのかもしれません。私自身にさえも言葉では説明できないくらい大切な、大切な音楽のことを書いているのですから。
 読み返してみるとただ長いだけで、内容の薄い文章のように感じます。実際はそうなのだけれども、私が音楽に対して思っているこの気持ちは薄いものではないので、それだけはわかってください。

 この文章にお付き合いしてくださった方々すべてに感謝します。
 ありがとうございました。