森田ゼミ96年黒旗福助トップ

hukusuke  福助8号  
発行所 :Y.H.アカデミー
パトロン:森田ゼミナール様

音楽とのつきあい その2  川嶋直子

 続きである。前回12歳までを書いたので、今回はそれ以後のことを書こうと思う。

 中学に入り、私はオーケストラの本当の楽しみを知った。中学以前にもオーケストラの曲を聴いていたのではあるが、本当の楽しさを知ったのは中学1年の頃、管弦楽部に入った頃である。

 両親のすすめもあり、私は管弦楽部に入った。そしてバイオリンを始めたのである。二つめの楽器との出会いである。この出会いは本当に大きなものであった。当時流行っていた歌も知らない程、クラシックを聴いていた。暇さえあればクラシックだったのである。

 オーケストラは奥が深い。何といっても、演奏が始まる前の音あわせのA線の響き。オーボエからはじまり、弦楽器、木管、金管、それらの音が交じり合った音が何よりもすばらしい。私はそれが好きである。どこの交響楽団の演奏を聴きに行ってもそれが楽しみのひとつであることには変わりがない。

 また話がそれてしまった。話を戻そう。

 バイオリンを始めた訳であるが、何にしても最初から簡単にできる訳ではない。最初は弓のもち方、バイオリンのもち方、本当に基礎から教えてもらった。ドラえもんに出てくる、しずかちゃんのようなあの「ギィー」という音が出る訳ではなかった。最初からきちんとした音が出たのである。始めて音を出したときは感激したものである。入部して1週間くらいしてから、私は自分のバイオリンを手にした。買ってもらったのである。それからというもの、学校で毎日練習があったのも苦になるどころか、楽しみになってしまったのである。始めてから3カ月位、毎日毎日バイオリン教本とにらめあい、そのうちにバイオリンが弾けるようになったのである。

 楽器が弾けるようになった私は、初めての曲に挑戦した。ベートーベンの交響曲第5番の4楽章である。その後、同じベートーベンのエグモント序曲、シューベルトの未完成、ハイドンのロンドン、ドボルザークの新世界、ワーグナーのマイスタージンガー云々、たくさんの曲を演奏してきた。勿論、弦楽4重奏も学園祭等で演奏した。この頃になると成長したのであろうか、人前で楽器を演奏することが苦手ではなくなっていた。

 数々の曲を聴き、管弦楽部に慣れてきた2年の頃、わが中学の管弦楽部にチャンスが巡ってきた。東日本(正式にはTBSこども音楽コンクール東日本優秀演奏会と言う)に出場が決まったのである。かつては何度も出たことがある大会ではあったのだが、近年チャンスに恵まれなかったせいもあり、久しぶりの出場だった。予選で良い演奏が出来るように朝昼晩と休みもなく練習を重ねてきた結果だったのでとてもうれしかったのを覚えている。東日本に出ることが一番の目標であったのだ。東日本への出場が決まってからは本当に休みもなく毎日毎日練習を続けていた。他にも大会があったのだが、県内に管弦楽部は2校だけで、もう一つの学校は敵ではなかったので(本当に)、出れば金賞というような結果が毎回かえってきた。久しぶりの出場ということで、「出場することに意義がある」のような雰囲気になっていた。その雰囲気どおりに結果は下から3番目くらいではあったのだが(その時は6校出場していた)、やはりそこで演奏することがどういうことなのかを知ったということで、勉強になったと言えるだろう。結果がどうであれ、参加したことが何よりもその時の私達にとって勉強になったのである。

 2回で終わるのかと思ったのだが、まだ終わらないらしい。
 「まだつづくの?」、と思っている方もいらっしゃるとは思うが、2回も書かせた山路氏が悪いのである(ゴメン)。書いているのは私なのであるが。
 という訳で次回をお楽しみに。