森田ゼミ96年黒旗福助トップ

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 福助18号 
発行所 :Y.H.アカデミー
パトロン:森田ゼミナール様

見聞エッセー集  山路博之

【文章上達の秘訣】
 先日、部活の後輩に、「ヒロサン(私のこと)、うまい文章を書くにはどうしたらいいんですか」と聞かれた。「自分自身、今までうまい文章を書いたこともないし、できれば書きたいと思っている」と断った上で、次のようなコメントをした。

 「文章を書くというのは、他人に対する配慮の行為である。ひとりよがりの文章に陥ってはいけない。絶えずそのことを意識しながら、言葉を綴っていく。それが文章だと思う。その点を踏まえて、例えば自分の興味のある分野について感じた事を書いたり、あるいは興味のある本を読むことを勧めるね。」たしか、そのような内容の返答をしたと思った。後になって、少々説明不足なところもあったと思い、今回、このような場を借りて少し補足をしようと思う。ご容赦願いたい。

 どんな文章を書くにしろ、自分というものをはなれては、文章はありえない。つまり、文章を書く場合には、いつも自分の〈立場〉を忘れてはならない。だからといって、すべて自分の頭で書いたものであれば、うまい文章になるかといえば、そうではない。どんなに自分の頭で書いても、書き方がまずければ、うまい文章とはいえない。では、うまい文章を書くにはどうしたらよいのであろうか。

 文章上達の方法として、ストーリーを書いたり、「名文」としての本をテキストとして、数冊もつことをあげる。尚、これ以外に方法がないわけではない。あくまでも、文章上達の一つの方法として聞いてもらえれば幸いである。

 テレビでも、映画でも、小説でもいい、そのストーリーを書いてみることを勧める。例えば、見てきた映画の話を他人に話そうとすると、なかなか難しいことがわかる。いろいろな人物が入りまじり、かかわり合い、そしてまた、話が今から昔へさかのぼる。それをうまく話さないと、ストーリーは組み立てられない。

 映画の筋を書く場合、本筋を外れて、細かい部分に入りこんでしまうと、話がややこしくなってしまう。話のタテ糸を通すには、どうしなければならないか。それには、本筋と、わき道を、きっちり整理してみなければならない。

 自分の書いたものを、映画雑誌に書かれているあらすじと、比べてみるのも面白い。雑誌に書かれたあらすじにも、出来のいいのと悪いのとがある。いいものを読むと、わき道の切り捨て方がどんなにうまいかがよくわかる。

 自分で、「これは名文である」という本をテキストとして数冊もつことを勧める。例えば、小説を読んでいて好きな場面に出会う。その場面は、いつまでも印象に残っていて忘れられない。光景は覚えているけれど、それがどんな「文章」で書かれていたか、確かめてみたくなる。そうして、何回も何回も同じところを繰り返して読む。

 文章上達のためには、いいものを読まねばならない。いいものとは、自分が気に入ったり、あるいは他人が勧める本である。しかし、ざっと流し読みして良かったというだけでは、いくら読んでもあまり文章上達には役立たない。「あの本に、こんなことが書いてあったが、それはどんな文章だったか」と、また読み直す。読み返すことが大切であり、そういう読み方が、文章上達の秘訣ではないだろうか。