森田ゼミ96年黒旗福助トップ

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 福助25号 
発行所 :Y.H.アカデミー
パトロン:森田ゼミナール様

見聞エッセー集  山路博之

【ボランティアの心構え】
 ボランティアの心構えとはどういうものか。一言で言えば、他人からの見返りを期待しないことである。つまり金銭的な見返りは言うに及ばず、感謝の気持ちとしの言葉も、本来ならば期待してはならないのである。

 金銭的な見返りを期待することは、すでにボランティア行為に反していることは理解できよう。しかし、感謝の気持ちとしての言葉も、期待してはならないことについては、読者の方は理解できるであろうか。

 何故、感謝の気持ちとしての言葉も、期待してはならないのか。一例を示して説明すれば、以下の通りである。

 例えば、被災地で炊き出しをしているボランティア青年がいたとしよう。炊き出しを受け取った被災者Aは、感謝の印に百円を青年に渡そうとする。そうすると青年は、「ボランティアですからお金は結構です」と、丁重に金銭の授受を断るだろう。イカサマボランティア青年でなければ。

 次に、炊き出しを受け取ったある被災者Bは、「アリガトウ」と、青年にお礼をいったとしよう。青年は、(いいえ当然のことです)と、心の中で感謝の言葉をかみしめ、笑顔をふりまいて被災者を励ます。多くの場合、ボランティア関係者はこのような体験をしている。

 しかし、ボランティア関係者は、被災者からの感謝の言葉を期待する傾向が強いらしい。実際、さきの阪神・淡路大震災の時、ボランティアとして神戸の町で二週間程炊き出しを行われた亀田亮氏(城西大学4年)からそのような旨の話を聞いた。

 氏の話によるとこうである。最初のうちは、被災者の方から大変感謝され自分達も献身的に働く意欲がわいたそうである。しかし、一週間たつころには状況ががらりとかわった。あれほど炊き出しに感謝していた被災者から、「今日も同じメシ(料理)かよ」という声が聞かれだしたという。

 たしかに、家を失い家族を失った被災者のやり場のない気持ちや日一日とたまるストレスから、たまらずそのような発言をしてしまったのだろう。と、氏は解釈していた。しかし、同じ炊き出しをしていたボランティアのメンバーは、そのような被災者の態度に憤慨したそうである。

 そういうメンバーに対して氏が、「君達は感謝の言葉を期待してボランティアを行っているのか?そうじゃないだろう」。その言葉に訝しく思う同僚に対してさらに次のような発言をした。「被災してかわいそうに思うからタダでメシを食わせてやる。だから、お礼の一言でも言ったらどうかと思っているようだが、果たしてそうなのか。一杯五十円払って買うみそしるを、お礼という言葉を『払う』ことによってくれてやろうという傲慢な態度が君達にはあるのか」と。 

 結局氏は、同僚の仲間とケンカをしたらしく、坂戸に帰ってきてからは、「ボランティアなどというものは偽善者がするもので、二度とするものか」と誓い、さらに「ボランティアなんかないほうがいい」と、語っておられた。

 たしかに、そのような話を聞けば、日本ではボランティア精神がまだまだ未熟だといえる。しかし、だからといってボランティアをなされている方全てを偽善者扱いにするのはどうであろうか。また、ボランティアの方々によって介護を受けておられる人達にとっては、感謝しつくせない存在であろう。

 要は、そうしたボランティア精神を徹底させればいいわけである。必要であれば、ボランティア養成学校だって作ればいい。そうすることによって、少なくとも「お礼の言葉を期待する」ようなエセボランティア野郎は、ボランティアには志願しないだろう。

 真のボランティア人とは、お金も言葉も期待しない人達である。だが、お金も言葉の見返りも期待しない、そういう献身的なボランティア人が果たして何人いるのかは疑問である。