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 気が付くと僕は取調室の中にいた……なんてことは勿論なく、聴衆に見守られながら威勢良くサイレンを鳴らすパトカーに乗せられ、若い警官に小突かれながらこの狭い部屋に押し込められたのだ。
『結構明るいもんだな』

 僕の中のイメージにおいて、取調室と言うものは暗く、陰鬱な感じがするものと思っていたのだが、実際は、サンシェードの隙間から見えるワイヤ入りの窓から西陽が差し込んできていて、結構明るいのだ。いや、眩しいと言っても過言ではないだろう。
 しかしながら……嫌らしいことに事務机とスタンドは、やっぱりあった。
 そして臭い。
 匂いを言葉で表すのは非常に困難なことではあるのだが、なんというか、カビ臭いような、背広臭いような……。どこかしら粉っぽい匂いがこの部屋を占領していた。
 少し息苦しい。
 なるべくだったら早めにこの場から退散したいものだ。

「オイ」
 脂ぎった中年の男が、顎を2センチほど動かして、椅子に座れと言う意思表示をした。僕は出入り口の近くに座った。 「オ、オイ。そっちじゃ……まあ、いいか」
 どうやら僕は座る場所を間違えたらしい。しかし構わないと言うのだから、気にしないことにする。
 中年男が机を挟んで向かい側に座った。彼の脂ぎった顔は強烈な西日を受けてギラギラと光を反射していた。

「名前は?」
 中年男が書類に、眼を通しながら言う。
「何でそんなことを聞くんです? 名前も分からずに僕を逮捕したんですか?」
「屁理屈をこねてんじゃねえ!
 お前は聞かれたことに対し素直に答えてれば良いんだよ!」

 僕は渋々と自分の名前を言った。
「そう、そうやって最初から素直に答えてりゃ良いんだよ」
 中年男は満足そうにそう言った。この後、職業や年齢、家族構成などを聞かれた。先程ちらりと見えたのだが、この男の持っているのはどうやら僕の戸籍抄本のようだ。なぜにそんな事を聞かれるのか、ますます解らなくなる。戸籍を見れば、全部書いてある筈なのだ。わざわざ聞く間でもないだろう。

 僕はこの場所が不愉快だった。斜め前の、少し離れたところで何かを筆記している男のペンがカツカツ鳴るのも不愉快だったし、目の前の中年男のギラついた顔。そして何より仁丹臭い息を、この密閉した空間で吐かれるのには耐えられそうになかった。

「――― 。
 これで一応事務的な質問は終わりだ」

 中年男はそう言って煙草を取り出し、百円ライターで火をつけ、天井に向かってその煙を吐いた。
 フゥ――
 中年男はタバコをゆっくりと吸っている。
 若い男は姿勢を崩すようなことはなく、相も変わらずペンを持ったままで紙と対峙している。

―― 五分くらい経ったであろうか。中年男は二本目のタバコに火をつけている。

 もう外は暗くなっているのではないだろうか。この位置からだと外が見えなくて良く解らない。もうだいぶ前から机の上のスタンドには光が点してある。少し、いや大分眩しい。そのスタンドは僕の顔に向けられているのだ。スタンドを被疑者にむけるのは、精神的苦痛を与えるためだとかいう話をどっかで読んだような気がする。ここも、どうやら取調室らしくなってきた。

―― 二十分くらいは経っているんじゃないだろうか。中年男は相変わらずタバコを吹かしていて、狭い部屋の中は、大分けぶったくなっている。一体いつになったら帰れるのだろうか。中年男はタバコをふかすのが仕事であるかのように黙々と煙草を吹かし、若い男は若い男で微動だにせず、ペンを握って紙と対峙している。幾ら僕が暇な人間とはいえ、くにで養ってもらっている人間達とは比べ物になるほどではない。奴等はタバコをふかすのが仕事かもしれないが、僕のような人間がそんなことをしていたら、たちまちオマンマの食い上げである。やり残してきた仕事もある。

「あの……。」
「なんだ?」

 中年男は如何にも煩わしそうに上体を起こした。しかし、その仕種には待ってましたと言わんばかりの気配が見え隠れしている。
「あの、いつになったら帰して頂けるんですか?」

 中年男はスタンドの反射光の中、薄笑いを浮かべながら言った。

「あん? 何、言ってんだお前。
 お前は任意同行してここに来てるんじゃないぞ。お前は逮捕されてここにいるんだ」
「つまりどういう事ですか」
「何だ? お前には常識が無いのか?
 任意同行の場合は、帰れる。しかしお前は逮捕されてここにいる訳だ。つまり、お前の帰る先は刑務所か墓場だけだって事だ」

 なんてことだ!
 今までなるたけ正直に、でしゃばり過ぎたりしないように生きてきたと言うのに!

「私が何をしたって言うんです!」
 思わず立ち上がり大きな声を出す。

「なんだと? 何をしたかだと?」
 中年男はゆっくりと立ち上がり顔を近づけた。

「お前は自分の罪に点いて何も知らないとでも言うのか。しらばっくれるのもいい加減にしろ!
 座って、自分が今までどんな酷い事をしてきたのか、もう一度良く考えてみるんだ。
 もうネタは上がっているんだ。本当に隠しおおせるとでも思っているのか」

 中年男は押し殺した声でそう言った。
 僕の顔にかかる仁丹の息は臭く、匂いが移ってしまうのではないかと思うほどだった。


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