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学問は必ずしも社会の役に立たないのは当然

 学問とは、自らの欲求(知的欲求と他人からの評価を得たい欲求)や使命感を満足させるために自発的に行う行為であるとともに、自己満足の世界でもある、ということは先ほどふれた通りである。それ故、学問の本来の性質を考えれば、必ずしも社会の役に立たないのは至極当然の結論である。果たして、学問は必ずしも社会の役に立たない存在なのであろうか。

 日本国語辞典によれば、学問という言葉の用い方として次のような文章が掲載されている。学問は社会の役に立たない。おそらく、学問に従事している者であれば、一度はこのような文章を耳にしたり口にしたことがあるだろう。この、「学問は社会の役に立たない」という文章はどういう意味を含んでいるのであろうか。文字通りとらえれば、学問は社会に何の役にも立たない存在である。つまり、学問は、社会で生活する我々多くの人間にとってなんの役にも立たない存在なのである。

 なるほど、この文章を文字通り素直にとらえれば上記の通りである。だが、この文章を逆説的にとらえればどうなるであろうか。すなわち、「学問には社会の役に立ってもらいたい」という心理がこの文章に隠されていた場合はどうなるであろうか。つまり、社会は学問に対して大きく期待している場合である。たしかに、社会が学問に寄せている期待を考慮して、「社会や他人の役に立ちたい」という使命感をもって、学問を行う人もいるだろう。しかし、そうした動機をもった人すべてが、社会が学問に寄せる期待に応えることはできないのである。又、学問を構成する動機は、使命感だけではないはずである。自らの欲求や自己満足を求める行為として、学問を行っている人もいるわけである。そうした「自分のため」による動機として出発した学問が、結果として多少は社会の役に立つことはあっても、必ずしも社会の役に立てれるとは考えにくい。以上のことから、「自分のため」や「他人のため」による動機から出発する学問には、必ずしも社会の役に立つことはできないのである。


序章
 学問とは自発的行為である
 学問とは自己満足の世界である
 学問的行為者の学問的行為
 学問は必ずしも社会の役に立たないのは当然
 私的空間と公的空間をつなぐ方法−論文−
 序章での引用文献・参考文献
第T章 何故、日本の物価は世界と比べて高いのか(経済学)
 (1)はじめに
 (2)為替レートの変化
 (3)内外価格差の現実
 (4)むすび
    第T章での引用文献・参考文献
第U章 何故、戦争は起こるのか(国際政治学)
 (1)はじめに
 (2)戦争の歴史
 (3)経済的要因からみる戦争の出現
 (4)生物学的要因からみる戦争の出現
 (5)何故、戦争は起きるのか
 (6)経済制裁で、北朝鮮を追いつめてはいけない
 (7)むすび
    第U章での引用文献・参考文献
第V章 何故、男は女を愛し、女は男を愛するのか(大脳生理学)
 (1)はじめに
 (2)男が女を愛し、女が男を愛する理由
 (3)男と女の関係を決める要素は何か
 (4)男と女のつりあった関係
 (5)むすび
    第V章での引用文献・参考文献
終章、あとがき

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