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(5)何故、戦争は起きるのか

 人類の歴史は、「戦争の歴史」と言い換えても過言ではない。何故、人類は戦争をするのか。その答えは大変難しい。哲学上の難問である。経済学的理由(持てるものと持たざるものの必然的対立説)から、生物学的理由(闘争本能説)や社会学的理由(群れの宿命説)などと、いくつもの理由が考えられる。たしかにそれらが錯綜し、複合しあっているに違いないが、基本的には、戦争は常に生存していくために必要な食糧や資源を巡っての争いだということができる。逆の言い方をすれば、生存していくための食糧や資源が満たされている場合には、人間は、集団で殺し合うことはないはずである。つまり、生存が確保されれば戦争は起きないという仮説を主張したい。サルとかライオンなどの動物も、食糧が満たされているときには、群れ同土でうまく棲み分けをして、メスを巡って個と個が争うことはあっても、集団と集団で争うことはしなかったはずである。おそらく人類も、サルから分かれてヒトとして発生した当初の頃は、人口そのものが少なかったので、うまく棲み分けをして、食糧を巡って争うことはなかったのではないだろうか。他の動物とは、襲われることがあるので争うことがあっても、人間同士では戦わなくて済んだかと考えられる。人間同士が戦うようになったのは、特定の地域内で、人口が生産力を上回って増えるようになったからと推測できる。そもそも人口は、生産を上回って増える傾向がある。何故なら、一人の女性は10人前後の子供を出産する能力を持っているが、それに対して、生産力のほうはそれほど伸びないからである。それに生産力が飛躍的に増加したのは、鉄器の発明とか農業革命、産業革命など、歴史上、数回しか存在しない。

 昔は病死や飢餓が多かったから、それで人口が調整されたが、それでも基本的には生産力を上回って人口が増え続けたので、人類は常に生存の危機に脅かされたきたわけである。そこで起こったのが、戦争という手段によって相手を滅ぼし、土地や資源を奪って自分たちの生存を確保するという調整方法である。

 戦争に勝つための方法は、二つある。集団を大きくすることと武力を高めることである。

 集団の基本単位は家族、血族だが、それだけでは戦いの単位としては弱い。そこで当初は比較的強い血族が他の血族と戦って、彼らを支配下におき、領地や生産手段を奪って自らの生存を守ったのである。こうして集団の単位が血族から部族、民族、国家というように次第に大きくなっていき、それに応じて戦争の規模も大きくなってきたわけである。しかし、勝つために集団を大きくしていくという集団化の論理には、一方で矛盾も含まれている。集団というのは、大きくなればなるほど、集団内部の共通性が希薄になっていって、団結力が弱くなる傾向があるからである。そこで、集団の結束を強めるために、アイデンティティをつくる必要が生じてくる。その際、決定的な役割を果たしたのが、民族と宗教であった。

 民族というのは基本的に血が同じだし、しきたりや言語も共通しているのが、普通だから、アイデンティティが得られやすい。宗教も同じ神を信じている点で精神的な統一力が強いから、集団のアイデンティティとしてこれほど強力なものはない。人類の歴史の中で、民族や宗教を単位とする戦争が多かったのは、こうした理由からである。

 ただ、ここで一つ断っておきたいのは、民族や宗教それ自体は、戦争の根本的原因ではないということである。その証拠に、アメリカは多民族、多宗教国家だが、国内で民族や宗教による戦争をしているわけではない。ロシアもまたしかりである。そもそも宗教というのは、死に対する恐れを癒し、人間の心の不安を救うために生まれたもので、本来的には戦争とは関係がない。むしろ、戦争とは対極に位置するものである。にもかかわらず、現象的には宗教の違いによる戦争が多いのは、宗教が集団の団結力を強め、他宗教を排除する性格が強いために、政治や戦争に利用されやすいからだ。民族にしても、それ自体は戦争の根本的な原因ではないが、アイデンティティが得られやすいために、生存が脅かされた時に集まる単位になりやすいということなのである。いずれにしても、大きな流れでいえば、人類は個の生存を確保するために、次第に集団を大きくしてきた。その集団の動きがピークに達したのが、第二次世界大戦の頃である。これを境に、人類の戦争の歴史に大きな変化が現れてくる。

 一つは、先進国で人口が減少しだしたことである。

 先進諸国では、産業革命によって生産力を飛躍的に増大させると同時に、一方では産児制限によって人口調整をするようになった。その結果、生産力が人口増加を上回るようになったので、生存のために戦うという戦争の動機そのものをなくしたわけである。

 先進国のもう一つの大きな特徴は、個人主義、自由主義の発達によって、従来の集団の理論にかわって、個の論理が重視されるようになってきたことである。

 それらの結果として、先進国の中で文化水準が近い国々は、国境というお互いの集団としての垣根の高さを、次第に低くする方向に進んでいる。例えば、、アメリカ、カナダ、メキシコなどに代表されるNAFTA(北米自由貿易協定)などがその好例である。国境という垣根を低くすることによって、ヒト、モノ、カネの行き来をより自由にしようとしているわけである。ところが一方には、産児制限が行き渡っていない国々がたくさんある。これらの国々では、自国の生産力もまだ上がっていなくて、生産力を上回って人口が増えている。昔なら、人口が増えても、病気や餓死などで自然に人口調整がなされた。しかし今は人道上の理由から、先進国が医薬品や食糧などの援助を行っているために、人口が昔以上の勢いで増えるようになっている。したがって、これらの国々では、生存を守るために戦うという戦争の動機は、従来以上に大きくなっているといえる。第二次世界大戦以降、世界各地で局地紛争が起きているのは、そのためである。ただし、これらの国々は、強力な武器をそれほどには持っていない。強い武器を持っているのは、先進国のほうである。その先進国の方が戦争で領地を拡大する動機を失っているので、局地紛争は起きても、それが拡大して第三次世界大戦といった大きな戦争に発展する恐れはほとんどない。


序章
 学問とは自発的行為である
 学問とは自己満足の世界である
 学問的行為者の学問的行為
 学問は必ずしも社会の役に立たないのは当然
 私的空間と公的空間をつなぐ方法−論文−
 序章での引用文献・参考文献
第T章 何故、日本の物価は世界と比べて高いのか(経済学)
 (1)はじめに
 (2)為替レートの変化
 (3)内外価格差の現実
 (4)むすび
    第T章での引用文献・参考文献
第U章 何故、戦争は起こるのか(国際政治学)
 (1)はじめに
 (2)戦争の歴史
 (3)経済的要因からみる戦争の出現
 (4)生物学的要因からみる戦争の出現
 (5)何故、戦争は起きるのか
 (6)経済制裁で、北朝鮮を追いつめてはいけない
 (7)むすび
    第U章での引用文献・参考文献
第V章 何故、男は女を愛し、女は男を愛するのか(大脳生理学)
 (1)はじめに
 (2)男が女を愛し、女が男を愛する理由
 (3)男と女の関係を決める要素は何か
 (4)男と女のつりあった関係
 (5)むすび
    第V章での引用文献・参考文献
終章、あとがき

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