森田ゼミ96年トップ

(4)男と女のつりあった関係

 男と女の関係を決める要素についての考察は上記の通りである。さて、これを踏まえて、いよいよ男と女の理想の関係、つまり理想の家庭について述べていく。どうすれば、理想的な男女の関係、ひいては家庭を築いていくことができるのであろうか。それは、とりもなおさず自分とつりあった人と一緒(結婚)になることである。では、「自分とつりあった人」とはどういうことなのであろうか。自分とつりあった人とは、三高や玉のこしに代表される経済力や経歴とか身体的なことだけでなく、人柄や知性を中核とした人間としての総合的なレベルがほぼ同じでないと、一緒にいてもお互いに与え、補い、支え合うという交流や共感が不十分になる。それは、価値観が同じことではない。たとえ価値観が違っていても、お互いに対等な関係で相手の価値観を認め合うことができ、それが刺激となり、視野を広げ満足感をもたらすような関係にあることが大切ではないだろうか。

 そういう交流や共感がないと、夫婦関係のうち人間としての面が長続きしないであろう。そして、その面が欠けてくると男と女としての性的な関係だけになってくる。そういう性的関係は、まず精神的満足をもたらさなくなり、やがて性的関係そのものが形だけのものになっていくであろう。そうなると、一夫一妻制のもっとも基本的な部分が崩壊してしまうことになる。恐らくそういうことを知っているから、ある程度人間関係のあり方を経験的に学んだ男や女は、それぞれにつりあう相手を求めるのではないだろうか。

 そのため、経験が浅くてそういうことを学んでいない間は、つりあわない相手に恋をして結局は失恋や離別の痛手を負う場合がある。もっとも、そういう恋は、ある意味で純粋かつひたむきであるから、失恋や離別は人間としての成長をもたらすと共に、時がたてばよい思い出になるだろう。

 一方、つりあう相手をみつけた人の恋は、それほどドラマティックでないかもしれないが、つりあっている限りは、長く時には一生続くことになる。さて、つりあうかどうかの判断は、理性に委ねる以外にない。何故なら、理性が感情を解き放つと、一挙に恋情がほとばしるように人間はつくられているからだ。そして、おおかたつりあいのとれている男女の一方が他方に恋情を抱くとき、その思いが伝わると相手は他に愛してる人がいない限り、自分に恋をした人を愛するようになる。こうして、めでたくつりあいのとれたカップルが誕生することになる。このようにして生まれたカップルの人間的なつりあいが保たれている限り、二人はお互いから得るものが多く、二人の愛のある関係が続く。そして、子どもが産まれると、そういう関係は子どもの人間的成長に大きな役割を果たすであろう。一夫一妻制はそういう関係を安定させるための社会的制度であり、これは特に子育てに長い期間を必要とする人間にとって適した制度であろう。人間以外の動物にも、子育てが大変な動物ほど一夫一妻制になっているように見受けられる。愛し合い、協力し合って営む共同生活が社会的に認められないとなると、トンボのように、精子を送りこんだ後、他のオスたちにとられないように交尾した姿のままメスと一緒にどこへでもでかけなければならない。その格好では仕事も勉強も不自由してしまう。

 もっとも、一夫一妻制は、人間にとって必然的な制度とは考えられない。時代や地域によって、一夫多妻制もあれば一妻多夫制もある。男系の結合もあれば父系の結合もあるし、夫方居住もあれば妻方居住もある。同性同士が性的に愛しあうことも決して稀ではない。どういう生理的なメカニズムでそういう現象が起きるのかはわからないが、世の中にはいろいろな愛の形があり、それぞれの人たちにとっては自分のその愛が生かされることがもっとも幸せであることになる。婚姻の形態も、どういう社会的条件のもとで、一夫一妻となったりその他の形になったりしているのかが分析されているようには見受けられない。人類学者の実地観察記録によると、同じような未開の地域で、社会的経済的条件もそれほど違っているとは考えられないのに、婚姻の形態やしきたりが随分異なる場合が存在しているようだ。さらに、人間関係には、もちろん性を伴わない関係もあり、性的な関係は全くなしに気の合った同士で一緒に暮らし、助け合い、支え合っているケースも珍しくない。それも、一対一でなく、複数のグループで共同生活をすることも、世界中で普通にみられる現象である。そうなると、理想の家庭、家族の在り方、共同生活の仕方を、かくあるべしと一義的に定め、すべての人に強制するということは、相当な数の人に不幸をもたらすことになる。どういう家族(家庭)の在り方が人間に適しているかということは、科学的には全くわからない。

 科学的にわからないから、経験的にあるいは社会科学的にこれを解釈すると、歴史の現段階では一夫一妻制が多数派であるが、すべての人にとってそれが最適だとはとてももいえず、さまざまな形を求める人たちがいることである。要するに、「その人にとって幸せな関係が一番よい」ということである。


序章
 学問とは自発的行為である
 学問とは自己満足の世界である
 学問的行為者の学問的行為
 学問は必ずしも社会の役に立たないのは当然
 私的空間と公的空間をつなぐ方法−論文−
 序章での引用文献・参考文献
第T章 何故、日本の物価は世界と比べて高いのか(経済学)
 (1)はじめに
 (2)為替レートの変化
 (3)内外価格差の現実
 (4)むすび
    第T章での引用文献・参考文献
第U章 何故、戦争は起こるのか(国際政治学)
 (1)はじめに
 (2)戦争の歴史
 (3)経済的要因からみる戦争の出現
 (4)生物学的要因からみる戦争の出現
 (5)何故、戦争は起きるのか
 (6)経済制裁で、北朝鮮を追いつめてはいけない
 (7)むすび
    第U章での引用文献・参考文献
第V章 何故、男は女を愛し、女は男を愛するのか(大脳生理学)
 (1)はじめに
 (2)男が女を愛し、女が男を愛する理由
 (3)男と女の関係を決める要素は何か
 (4)男と女のつりあった関係
 (5)むすび
    第V章での引用文献・参考文献
終章、あとがき

「学問 自己満足の世界」に戻る